毎年12月は1年の中でも最もモノが売れる月です。
売り場の魅力向上のために、各店舗は様々なキャンペーンなどの仕掛け作りを
あの手この手と模索していますが、中でも効果的であり、理論的に構築されているのは
陳列方法に関してで、専門のコンサルティング会社もあるぐらいです。
陳列のやり方一つで、知らず知らずのうちに、購買意欲をコントロールされてしまっている
ことがあります。
百貨店やブランド直営店などの高級店では一点モノのように商品をディスプレイに一点だけ
置かれています。
これは高級感を出すためのもので貴重な商品との一期一会を演出して、購買意欲を刺激させて
いますが、逆にスーパーは玉ねぎやニンジン、ジャガイモなどは山積みにすることで、大量仕入れ
で低単価をイメージさせてお得感を演出します。
また、例えば茶碗などの陶器など、同じような湯呑も高級品と低価格の湯呑を一緒に置くことで
高級品には手が出ないが、低価格品ならと購買意欲が積極的になるそうです。
お店側が購入者の気持ちをどこまでくみ取れるかで、陳列の仕方、価格設定が決まっていく
のだと思いますが、購入者側も衝動買いに走らないよう、計画性が必要になるのでしょう。
【 企業理念 】
「真の価値」 を伝える。
それによって磨かれる
家族、地域、子どもたち の感性
「真の価値」 を伝える。
それによって磨かれる
家族、地域、子どもたち の感性
2013年12月13日金曜日
2013年12月12日木曜日
原始的な仕組み
最近、古民家リフォーム集を勉強していると、昔の生活や日本の住宅文化に触れる
機会が多くあります。
当たり前のことですが、昭和初期の古民家には電化製品はほとんどなく、台所やお風呂、
トイレやエアコンなど全てにおいて原始的と言われるようなモノばかりです。
現代の住居環境はオール電化という言葉があるほど、世界でも有数な高度な家電製品が
充実しています。
人間はボタンを押すだけで、あとは家電自らが考え、選択し、作業し、そのやり方を自動的に
記憶していきます。
例えば、川の水面に石を投げる遊びも、形の違う石を試したり、投げ方、速度、投げる角度など
試行錯誤を繰り返し、遠くへ投げる必要要素を見出していきます。
そこで学問上で言い換えれば、物理的な因果関係を見出していく自分の中で見出した気づきを
自身の成長として、満足を得るのだと思います。
日常的な言葉で言うところの「コツ」でしょうか。
物事や事象には常に表と裏、光が当たった裏には陰影ができます。
日本はここ10年あまりで驚くスピードで社会は便利になりました。
その便利の強い光の裏には同じぐらい強い影が存在していること、世の中へ暗い影響を
及ぼしていることにも意識を向けることも大切なように思います。
機会が多くあります。
当たり前のことですが、昭和初期の古民家には電化製品はほとんどなく、台所やお風呂、
トイレやエアコンなど全てにおいて原始的と言われるようなモノばかりです。
現代の住居環境はオール電化という言葉があるほど、世界でも有数な高度な家電製品が
充実しています。
人間はボタンを押すだけで、あとは家電自らが考え、選択し、作業し、そのやり方を自動的に
記憶していきます。
例えば、川の水面に石を投げる遊びも、形の違う石を試したり、投げ方、速度、投げる角度など
試行錯誤を繰り返し、遠くへ投げる必要要素を見出していきます。
そこで学問上で言い換えれば、物理的な因果関係を見出していく自分の中で見出した気づきを
自身の成長として、満足を得るのだと思います。
日常的な言葉で言うところの「コツ」でしょうか。
物事や事象には常に表と裏、光が当たった裏には陰影ができます。
日本はここ10年あまりで驚くスピードで社会は便利になりました。
その便利の強い光の裏には同じぐらい強い影が存在していること、世の中へ暗い影響を
及ぼしていることにも意識を向けることも大切なように思います。
2013年12月11日水曜日
臥龍への想い
人生はうまく行くことばかりが、自分の未来を明るく照らす要因とは限りません。
時には遠回りしていると思ってしまう、損な役回りだと感じてしまうことも、自分の肥やしに
なっていくのだと思います。
腹を立てても、腐っても、すねても、落ち込んでも、自分の毎日の一歩を出すことだけは
諦めず、こだわって自分で自分を見守ってあげたいものです。
評価の高い魅力的な盆栽を見ても、太い松の枝が迫力のある湾曲した枝ぶりを見せています。
まるで時間の流れと空間を曲がりくねった枝ぶりで圧倒的に制圧しているようです。
真っすく伸びている松と順調しか無い人生には人は魅力を感じることができないのだと思います。
苦労や苦痛も経験として自分の中に受け入れる時は必ずくるのだと・・・。
そして自分の存在がきっと世間の役に立つ日が来るのだということを信じて。
それまでは、まるで地中深くに身を屈め、いく日も嵐を待ち続ける臥龍のように。
時には遠回りしていると思ってしまう、損な役回りだと感じてしまうことも、自分の肥やしに
なっていくのだと思います。
腹を立てても、腐っても、すねても、落ち込んでも、自分の毎日の一歩を出すことだけは
諦めず、こだわって自分で自分を見守ってあげたいものです。
評価の高い魅力的な盆栽を見ても、太い松の枝が迫力のある湾曲した枝ぶりを見せています。
まるで時間の流れと空間を曲がりくねった枝ぶりで圧倒的に制圧しているようです。
真っすく伸びている松と順調しか無い人生には人は魅力を感じることができないのだと思います。
苦労や苦痛も経験として自分の中に受け入れる時は必ずくるのだと・・・。
そして自分の存在がきっと世間の役に立つ日が来るのだということを信じて。
それまでは、まるで地中深くに身を屈め、いく日も嵐を待ち続ける臥龍のように。
2013年12月10日火曜日
お日柄について
日本人は結婚式や新築工事など、一生のうちに滅多にないようなことをするときは、
お日柄を大事にしています。
このお日柄と言えば、大安や仏滅などの六曜のことを言いますが、元来、中国で時刻の吉凶
占いに用いられていましたが、日本に伝わり活用されるようになったのは、歴史は古く14世紀の
鎌倉幕府まで遡ります。
曜はもともと旧暦で用いられていたもので、先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口の吉凶を占う
6つの曜日からなり、6日ごとに繰り返すので六曜といいます。
今では多くのカレンダーに記載があり、暦のお日柄と言えば六曜のことを指すと考えて良いでしょ
う
・3月・9月の朔日・・・・先負 ・4月・10月の朔日・・・仏滅
・5月・11月の朔日・・・大安 ・6月・12月の朔日・・・赤口
結婚式場が込み合うのが大安で、仏滅になる土曜、日曜は式場の利用料金も安くなるようです
が、3組に1組は離婚する現実があることから、今の若い人はあまり気にしないようです。
お日柄と同じように家を建てるときに家相も大事にされる方もいらっしゃいますが、マンション暮らし
の方も増えてきたことで家相に配慮することが薄れ、代わりに風水を尊重される方が増えてき
ました。
目には見えない価値観ですが、何か特別な存在や力を信じて優先させようとする気持ちは
謙虚さの表れであり、心の安定や余裕を感じさせてくれます。
お日柄を大事にしています。
このお日柄と言えば、大安や仏滅などの六曜のことを言いますが、元来、中国で時刻の吉凶
占いに用いられていましたが、日本に伝わり活用されるようになったのは、歴史は古く14世紀の
鎌倉幕府まで遡ります。
曜はもともと旧暦で用いられていたもので、先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口の吉凶を占う
6つの曜日からなり、6日ごとに繰り返すので六曜といいます。
今では多くのカレンダーに記載があり、暦のお日柄と言えば六曜のことを指すと考えて良いでしょ
う
またこの旧暦は、曜日と同じよう決まっています。
- 正月・7月の朔日・・・・先勝 ・2月・8月の朔日・・・・友引
・3月・9月の朔日・・・・先負 ・4月・10月の朔日・・・仏滅
・5月・11月の朔日・・・大安 ・6月・12月の朔日・・・赤口
結婚式場が込み合うのが大安で、仏滅になる土曜、日曜は式場の利用料金も安くなるようです
が、3組に1組は離婚する現実があることから、今の若い人はあまり気にしないようです。
お日柄と同じように家を建てるときに家相も大事にされる方もいらっしゃいますが、マンション暮らし
の方も増えてきたことで家相に配慮することが薄れ、代わりに風水を尊重される方が増えてき
ました。
目には見えない価値観ですが、何か特別な存在や力を信じて優先させようとする気持ちは
謙虚さの表れであり、心の安定や余裕を感じさせてくれます。
2013年12月9日月曜日
美しさを感じるグループ
2014年、ブラジル・ワールドカップ(W杯)組み合わせ抽選会が6日行われ、出場各チームの
グループステージでの対戦相手が決定しました。
毎回のことですが、抽選会当日は、緊張して寝付けませんが、今回も深夜のライブ中継に
戦々恐々とした思いで見ていました。
そんな中、オランダ代表のロッペンが自国のBグループの顔ぶれに「美しいグループ」と
表現していました。
ロッペンは本当にサッカーを愛しているのだとロッペンだからこそ、予選グループに美しさを
見出せるのでしょう。
我が日本代表C組の一戦目はアフリカ大陸王者のコートジボワールは想像を超えた身体能力の
持ち主。
2戦目は欧州選手権2004(UEFA Euro 2004)王者、ギリシャは組織的な攻守で、少ない失点を
維持しながら、セットプレイなど少ないチャンスをものにするオーソドックスな組織サッカー。
3戦目はFLFAランク4位が示す通り、南米の雄、コロンビア。
スピードある鋭い若手攻撃陣と、ベテランを中心にして守り抜くディフェンス力が融合し、攻守の
バランスが取れたチームに生まれ変わった。
ロッペンの言葉を借りれば日本代表が入ったC組も各チームの異なった個性、特徴のぶつかり
合いになるのでしょう。
2014年、ブラジルワールドカップの経験を経て、日本サッカーの美意識、哲学が鮮明になるの
だと確信しています。
グループステージでの対戦相手が決定しました。
毎回のことですが、抽選会当日は、緊張して寝付けませんが、今回も深夜のライブ中継に
戦々恐々とした思いで見ていました。
そんな中、オランダ代表のロッペンが自国のBグループの顔ぶれに「美しいグループ」と
表現していました。
ロッペンは本当にサッカーを愛しているのだとロッペンだからこそ、予選グループに美しさを
見出せるのでしょう。
我が日本代表C組の一戦目はアフリカ大陸王者のコートジボワールは想像を超えた身体能力の
持ち主。
2戦目は欧州選手権2004(UEFA Euro 2004)王者、ギリシャは組織的な攻守で、少ない失点を
維持しながら、セットプレイなど少ないチャンスをものにするオーソドックスな組織サッカー。
3戦目はFLFAランク4位が示す通り、南米の雄、コロンビア。
スピードある鋭い若手攻撃陣と、ベテランを中心にして守り抜くディフェンス力が融合し、攻守の
バランスが取れたチームに生まれ変わった。
ロッペンの言葉を借りれば日本代表が入ったC組も各チームの異なった個性、特徴のぶつかり
合いになるのでしょう。
2014年、ブラジルワールドカップの経験を経て、日本サッカーの美意識、哲学が鮮明になるの
だと確信しています。
2013年12月8日日曜日
消費経済の幻想
ここ数年、モノや食べ物を「消費」することに対して、これまでは無かった疑問を感じる時代になって
来ました。
消費者がモノの流れや生産方法、価格設定などに無駄や不自然さを感じるようになり、
生産者から直接購入できる通販を使った購入や、地産地消を謳った道の駅、様々な無農薬に
拘った食べ物や下着なども多くみられるようになりました。
これまでの企業の在り方は会社の利益を増やすために売れるものを作り、欲しくなる広告を作り、
手に取りたくなるような売り場作りを熱心に行いながら、毎年前年比アップの売り上げを目標と
しています。
そもそも消費を右肩上がりにさせ、国の経済を成長させ続けることに限界があるのだという
ことに気づき始めているのか、そうではないのか。
これからの時代は、誰によって誰かが必要とするであろうモノを大量に作ったモノを購入し、
消費する時代から、自分に必要なモノを自ら創造し、自ら生産することが自身の生活の豊かさ
へと繋がっていくのだと思います。
来ました。
消費者がモノの流れや生産方法、価格設定などに無駄や不自然さを感じるようになり、
生産者から直接購入できる通販を使った購入や、地産地消を謳った道の駅、様々な無農薬に
拘った食べ物や下着なども多くみられるようになりました。
これまでの企業の在り方は会社の利益を増やすために売れるものを作り、欲しくなる広告を作り、
手に取りたくなるような売り場作りを熱心に行いながら、毎年前年比アップの売り上げを目標と
しています。
そもそも消費を右肩上がりにさせ、国の経済を成長させ続けることに限界があるのだという
ことに気づき始めているのか、そうではないのか。
これからの時代は、誰によって誰かが必要とするであろうモノを大量に作ったモノを購入し、
消費する時代から、自分に必要なモノを自ら創造し、自ら生産することが自身の生活の豊かさ
へと繋がっていくのだと思います。
2013年12月7日土曜日
棚卸し作業
何だかんだともう、12月。
師走ということで、毎年仕事では事業部で様々な仕事やプロジェクトの今年の総括を
する月でしょう。
そんな月によく耳にするのは仕事の「棚卸作業」。
今年一年を振り返ることで良かったことは、継続し、良くなかったことは原因を見極め、
改善への一手を模索する。
新年になると皆、「一年の計は元旦にあり」とばかりに新年の計画を立てますが、
三日坊主という経験も多いはずです。
そうならない為にも大切なのが、今月に行う「棚卸し作業」です。
仕事も個人もこの「棚卸作業」の質が力強い新年を迎える上で重要な作業になります。
京セラ創業者の稲盛氏は「時間当たり採算」=「人時管理」という概念を取り入れ、「時間」を
採算性の指標として活用しています。
1人ひとりの作業量が組織全体の損益にも影響してくるわけですからとても、重要な視点だと
思います。
個人の生活も「人」=人間関係、「時」=費やした時間、浪費してしまった時間を見極め、
新年に向けて何を継続し、何を改善、テコ入れするのかを明確にしたいものです。
師走ということで、毎年仕事では事業部で様々な仕事やプロジェクトの今年の総括を
する月でしょう。
そんな月によく耳にするのは仕事の「棚卸作業」。
今年一年を振り返ることで良かったことは、継続し、良くなかったことは原因を見極め、
改善への一手を模索する。
新年になると皆、「一年の計は元旦にあり」とばかりに新年の計画を立てますが、
三日坊主という経験も多いはずです。
そうならない為にも大切なのが、今月に行う「棚卸し作業」です。
仕事も個人もこの「棚卸作業」の質が力強い新年を迎える上で重要な作業になります。
京セラ創業者の稲盛氏は「時間当たり採算」=「人時管理」という概念を取り入れ、「時間」を
採算性の指標として活用しています。
1人ひとりの作業量が組織全体の損益にも影響してくるわけですからとても、重要な視点だと
思います。
個人の生活も「人」=人間関係、「時」=費やした時間、浪費してしまった時間を見極め、
新年に向けて何を継続し、何を改善、テコ入れするのかを明確にしたいものです。
2013年12月6日金曜日
様々な肩書き
世の中には人の数だけ会社があり、職種があり、様々な呼び方があります。
職業の呼び方には作家、医師、弁護士、芸人、事務次官など様々です。
職業名は社会的立場や役割を表していますが、その違いを意外と知られていないようです。
例えば、各職業名を広辞苑で調べると、
「師」・・・学問や技芸を教授する人 先生。 牧師や僧侶の名につく敬称。
専門の技術や資格を持ち職業とする人 医師 美容師 など
「家」・・・その道の人 その道いに優れた人(芸術関係が多い)
「者」・・・その道に慣れた者。 玄人
「員」・・・一定の任を持つ人。団体等の構成メンバーなど。
「士」・・・一定の資格・役割を持った人 弁護士 など
「手」・・・ある専門分野の仕事をする人(客観的な資格のようなモノを有さない)
「官 」・・・役人 国家の機関に勤める。官僚など
「人」 ・・・ある特殊な才能や技能を仕事で発揮している人。芸人、超人など。
職業の数だけ職責があります。
自分に置いてはどんな役割と責任を社会から任されているのかを見つめ直す機会も
長く働く上で重要なことのように思います。
職業の呼び方には作家、医師、弁護士、芸人、事務次官など様々です。
職業名は社会的立場や役割を表していますが、その違いを意外と知られていないようです。
例えば、各職業名を広辞苑で調べると、
「師」・・・学問や技芸を教授する人 先生。 牧師や僧侶の名につく敬称。
専門の技術や資格を持ち職業とする人 医師 美容師 など
「家」・・・その道の人 その道いに優れた人(芸術関係が多い)
「者」・・・その道に慣れた者。 玄人
「員」・・・一定の任を持つ人。団体等の構成メンバーなど。
「士」・・・一定の資格・役割を持った人 弁護士 など
「手」・・・ある専門分野の仕事をする人(客観的な資格のようなモノを有さない)
「官 」・・・役人 国家の機関に勤める。官僚など
「人」 ・・・ある特殊な才能や技能を仕事で発揮している人。芸人、超人など。
職業の数だけ職責があります。
自分に置いてはどんな役割と責任を社会から任されているのかを見つめ直す機会も
長く働く上で重要なことのように思います。
2013年12月4日水曜日
上に立つ者が持つ「信」
老子第17条に人の上に立つもが大切にしなければならない心得が書かれていました。
【原文】
太上下知有之。其次親而譽之。其次畏之。其次侮之。信不足、焉有不信。悠兮其貴言、
功成事遂、百姓皆謂我自然。
【書き下し文】
太上(たいじょう)は下(しも)これ有るを知るのみ。その次は親しみてこれを譽(ほ)む。その次はこれ
を畏(おそ)る。その次はこれを侮る。信足らざれば、焉(すなわ)ち信ざられざること有り。
悠(ゆう)としてそれ言を貴(おも)くすれば、功は成り事は遂(と)げられて、百姓(ひゃくせい)は
皆我自ら然(な)りと謂(い)う。
いつの時代も王とは、国民を第一に考え、陰徳を持って国民の将来を憂いて、存在自体に価値が
あり、国民から尊敬されていました。
日本の天皇陛下の御公務などを知ることができるテレビ番組もありますが、戦後に日本に介入し
たGHQの影響が大きいようです。
二度と太平洋戦争のような戦争を起こさないために、天皇に対して戦前のような神のようなカリス
マ的な存在から、天皇を人としての扱いを広めるために「開かれた皇室」として、御公務などを通じ
て国民の前に姿を見せるようになりました。
戦後生まれの人達には意外に思われるかも知れませんが、明治天皇以前までは、天皇とは
御簾(みす)の向こうから発声され、天皇の前で顔を上げることも許されていませんでした。
存命される天皇の御尊顔を拝することができたのは数少ない側近中の側近だけでした。
今でも天皇主催の歌会などの場で、雨降りでも天皇の前で傘を指すことや、一般人から声を
かけることは許されておりません。
660年以降、神武天皇から脈々と受け継がれてきた世界に誇れる皇室ではないでしょうか。
【原文】
太上下知有之。其次親而譽之。其次畏之。其次侮之。信不足、焉有不信。悠兮其貴言、
功成事遂、百姓皆謂我自然。
【書き下し文】
太上(たいじょう)は下(しも)これ有るを知るのみ。その次は親しみてこれを譽(ほ)む。その次はこれ
を畏(おそ)る。その次はこれを侮る。信足らざれば、焉(すなわ)ち信ざられざること有り。
悠(ゆう)としてそれ言を貴(おも)くすれば、功は成り事は遂(と)げられて、百姓(ひゃくせい)は
皆我自ら然(な)りと謂(い)う。
いつの時代も王とは、国民を第一に考え、陰徳を持って国民の将来を憂いて、存在自体に価値が
あり、国民から尊敬されていました。
日本の天皇陛下の御公務などを知ることができるテレビ番組もありますが、戦後に日本に介入し
たGHQの影響が大きいようです。
二度と太平洋戦争のような戦争を起こさないために、天皇に対して戦前のような神のようなカリス
マ的な存在から、天皇を人としての扱いを広めるために「開かれた皇室」として、御公務などを通じ
て国民の前に姿を見せるようになりました。
戦後生まれの人達には意外に思われるかも知れませんが、明治天皇以前までは、天皇とは
御簾(みす)の向こうから発声され、天皇の前で顔を上げることも許されていませんでした。
存命される天皇の御尊顔を拝することができたのは数少ない側近中の側近だけでした。
今でも天皇主催の歌会などの場で、雨降りでも天皇の前で傘を指すことや、一般人から声を
かけることは許されておりません。
660年以降、神武天皇から脈々と受け継がれてきた世界に誇れる皇室ではないでしょうか。
2013年12月3日火曜日
引き算された枯山水
日本の美意識を様式化された概念の一つである「わびさび」は生まれた室町時代に花開いた
一つに枯山水園があります。
単に枯山水と言っても乾山水、唐山水、枯山水(フルセンスイ)、枯水形(カレミズガタ)、
から泉水、枯山水(コセンスイ)などに細分化されるそうです。
では枯山水とは何を指すものなのかというと、水のない庭のことで、水を用いずに石や砂などを使
い、山水の風景を表現する庭園様式です。
「枯山水」という字が最初に作庭の用語として使われるようになったのは、平安時代の人、藤原頼
通の子、橘俊綱が編集した「群書類従」の中に出てくるそうで、その歴史は深いものですね。
水を感じさせるために水を抜いた枯山水は日本人の究極の「引き算の美学と思想」を表した
最古たるものとされています。
今でこそ、和食などでも食材そもののを活かす為に味付けなどは引き算するなどと、普通に
言われる時代ですが、その大本はこの枯山水の誕生から概念付けられたと言われる方も
多くいます。
目の前に広がる水のない山水を見ることで見ている人の心の中に「胸中山水」が生み出され、
一人ひとりの真の山水が見えるとされています。
枯山水を深めると当時の人達の心眼力の豊かさを感じさられますが、現在の枯山水はホテルや
旅館、公園などの片隅にあるミニスケープにされてしまっていることが多く、少し残念です。
一つに枯山水園があります。
単に枯山水と言っても乾山水、唐山水、枯山水(フルセンスイ)、枯水形(カレミズガタ)、
から泉水、枯山水(コセンスイ)などに細分化されるそうです。
では枯山水とは何を指すものなのかというと、水のない庭のことで、水を用いずに石や砂などを使
い、山水の風景を表現する庭園様式です。
「枯山水」という字が最初に作庭の用語として使われるようになったのは、平安時代の人、藤原頼
通の子、橘俊綱が編集した「群書類従」の中に出てくるそうで、その歴史は深いものですね。
水を感じさせるために水を抜いた枯山水は日本人の究極の「引き算の美学と思想」を表した
最古たるものとされています。
今でこそ、和食などでも食材そもののを活かす為に味付けなどは引き算するなどと、普通に
言われる時代ですが、その大本はこの枯山水の誕生から概念付けられたと言われる方も
多くいます。
目の前に広がる水のない山水を見ることで見ている人の心の中に「胸中山水」が生み出され、
一人ひとりの真の山水が見えるとされています。
枯山水を深めると当時の人達の心眼力の豊かさを感じさられますが、現在の枯山水はホテルや
旅館、公園などの片隅にあるミニスケープにされてしまっていることが多く、少し残念です。
2013年12月2日月曜日
ライバルとの伝統
昨日、東京の国立競技場での最後の大学ラグビー、早稲田対明治が開催されました。
1923年12月24日に初戦が行われ、以後戦争による中断を挟み現在まで定期戦89戦・大学選手権
での対戦12戦を数え、長らく「伝統の一戦」と呼ばれ続けています。
名前の呼び方も早稲田の学生にとっては「早明戦」であり、明治の学生にとっては「明早戦」で
あり、先に母校が来るのが両校にとって正式であり、こだわりです。
学校のイメージカラーである早稲田の臙脂と紫も真紅と紫紺と呼ばれ母校への誇りの象徴として
大切にされています。
会場が国立競技場となったのは、1973年にこれまで会場となっていた秩父宮ラグビー場が改修工
事に入ったためで、その後観客数が増えて秩父宮では収容しきれなくなったため固定された経緯
があります。
しかし、アマチュアスポーツで5万人の収容力のあるスタジアムを満員にすることはこの、早明戦
ぐらいでしょう。
「縦の明治」「重戦車FWの明治」に対し、「横の早稲田」「BKの早稲田」と、チームカラーが余りに
対照的なのも、源平から続く二強対立の好きな日本人の感性に合っているとよく表現されますが、
ポーツライターの二宮清純は早明戦について、技術論の早稲田、精神論の明治と評しています。
これだけの注目度のある一戦なだけに、この一戦にかける選手のモチベーションも高く、
シーズンの成績、チーム状況とはあまり関係なく、毎年拮抗した素晴らしい戦いを見せるのが、
人としての不思議なところです。
やはり人は心で生きていて、心で動いているのだとつくづく、感じさせてもらいます。
1923年12月24日に初戦が行われ、以後戦争による中断を挟み現在まで定期戦89戦・大学選手権
での対戦12戦を数え、長らく「伝統の一戦」と呼ばれ続けています。
名前の呼び方も早稲田の学生にとっては「早明戦」であり、明治の学生にとっては「明早戦」で
あり、先に母校が来るのが両校にとって正式であり、こだわりです。
学校のイメージカラーである早稲田の臙脂と紫も真紅と紫紺と呼ばれ母校への誇りの象徴として
大切にされています。
会場が国立競技場となったのは、1973年にこれまで会場となっていた秩父宮ラグビー場が改修工
事に入ったためで、その後観客数が増えて秩父宮では収容しきれなくなったため固定された経緯
があります。
しかし、アマチュアスポーツで5万人の収容力のあるスタジアムを満員にすることはこの、早明戦
ぐらいでしょう。
「縦の明治」「重戦車FWの明治」に対し、「横の早稲田」「BKの早稲田」と、チームカラーが余りに
対照的なのも、源平から続く二強対立の好きな日本人の感性に合っているとよく表現されますが、
ポーツライターの二宮清純は早明戦について、技術論の早稲田、精神論の明治と評しています。
これだけの注目度のある一戦なだけに、この一戦にかける選手のモチベーションも高く、
シーズンの成績、チーム状況とはあまり関係なく、毎年拮抗した素晴らしい戦いを見せるのが、
人としての不思議なところです。
やはり人は心で生きていて、心で動いているのだとつくづく、感じさせてもらいます。
2013年12月1日日曜日
移りゆく日本庭園
近年、日本文化が世界で注目される機会が多くなりました。
アニメや食文化、富士山にオリンピック招致、変わったところで盆栽など、世界からの評価を得る
ケースが多くあります。
ある情報紙によればは外国人の観光名所の一つである京都や奈良、金沢などの神社仏閣巡りに
も変化が起きて、最近は日本人も足が遠のいている地方の神社仏閣や歴史資料館まで外国人が
観光や、勉強をしに足を運んでいるとのことです。
神社仏閣には空間を作り上げる日本庭園は付きものですが、最近の若い人達にとって日本庭園
はどのように映っているのでしょう。
他国の庭園に少し触れると、フランスは整形庭園として、幾何学的な美しさを目的とすることが
多く、日本庭園のように曖昧さを楽しむような感覚はありません。
イギリスは自然を模したものが多く、自然の風景を庭とする概念が多く、鬱蒼とした印象を強く
持ちます。
少し日本庭園の歩みを遡ると、聖徳太子が活躍した飛鳥時代には仏教が伝来したこともあり、
庭に神の世を造る中国的思想が強く、極楽浄土を意識した造形が多くありました。
平城京に都を遷都した奈良時代になると、築山、池、島、白砂、水流、滝といった現代の庭にも
通じる基本的な構成が様式化してきたと共に日本人としての自然への美意識も構築されてきた
時代とも言えます。
本格的な武家政権が発足した鎌倉時代には、書院式庭園と呼ばれる、ミニチュア型の庭園が
発達してきます。
狭い書院の庭にいかに自然を表現するかが重視される中、わびさびの概念も生み出され、
枯山水庭園も最盛期と呼べる時代となりました。
戦のない江戸時代に入ると、大名庭園と呼ばれるこれまでの日本庭園の集大成とも呼べる
時代が到来します。
これまでの時代の庭作りの多くは、家の窓から見て楽しむものが多った様式から、
江戸時代には、それまで各時代と共に生まれ、発展してきた庭園を回遊できるつくりを
始めました。
形式として独自なものが新たに生まれた訳ではなく、枯山水園や浄土庭園、茶庭など順路に
そって回遊しながら風景(庭)を楽しむものでした。
明治維新後は西洋文明の夜明けと共に、こうした大名庭園の多くは壊され、新たに作られる
庭の和洋折衷のものや、洋式化したものへと変わり、現代へと受け継がれてきています。
日本庭園の流れを知ることで、その当時の人々が大切にしていたことも何となく伝わってきます。
アニメや食文化、富士山にオリンピック招致、変わったところで盆栽など、世界からの評価を得る
ケースが多くあります。
ある情報紙によればは外国人の観光名所の一つである京都や奈良、金沢などの神社仏閣巡りに
も変化が起きて、最近は日本人も足が遠のいている地方の神社仏閣や歴史資料館まで外国人が
観光や、勉強をしに足を運んでいるとのことです。
神社仏閣には空間を作り上げる日本庭園は付きものですが、最近の若い人達にとって日本庭園
はどのように映っているのでしょう。
他国の庭園に少し触れると、フランスは整形庭園として、幾何学的な美しさを目的とすることが
多く、日本庭園のように曖昧さを楽しむような感覚はありません。
イギリスは自然を模したものが多く、自然の風景を庭とする概念が多く、鬱蒼とした印象を強く
持ちます。
少し日本庭園の歩みを遡ると、聖徳太子が活躍した飛鳥時代には仏教が伝来したこともあり、
庭に神の世を造る中国的思想が強く、極楽浄土を意識した造形が多くありました。
平城京に都を遷都した奈良時代になると、築山、池、島、白砂、水流、滝といった現代の庭にも
通じる基本的な構成が様式化してきたと共に日本人としての自然への美意識も構築されてきた
時代とも言えます。
本格的な武家政権が発足した鎌倉時代には、書院式庭園と呼ばれる、ミニチュア型の庭園が
発達してきます。
狭い書院の庭にいかに自然を表現するかが重視される中、わびさびの概念も生み出され、
枯山水庭園も最盛期と呼べる時代となりました。
戦のない江戸時代に入ると、大名庭園と呼ばれるこれまでの日本庭園の集大成とも呼べる
時代が到来します。
これまでの時代の庭作りの多くは、家の窓から見て楽しむものが多った様式から、
江戸時代には、それまで各時代と共に生まれ、発展してきた庭園を回遊できるつくりを
始めました。
形式として独自なものが新たに生まれた訳ではなく、枯山水園や浄土庭園、茶庭など順路に
そって回遊しながら風景(庭)を楽しむものでした。
明治維新後は西洋文明の夜明けと共に、こうした大名庭園の多くは壊され、新たに作られる
庭の和洋折衷のものや、洋式化したものへと変わり、現代へと受け継がれてきています。
日本庭園の流れを知ることで、その当時の人々が大切にしていたことも何となく伝わってきます。
2013年11月30日土曜日
友情を越えた繋がり
お菓子と言えば「グリコ」と思われる方も少なくないのではないでしょうか。
日本を代表するお菓子メーカーである「江崎グリコ」は1919年(大正8年)、創業者である江崎利一
がカキの煮汁からグリコーゲンを採取し、それをキャラメルの中に入れた栄養菓子「グリコ」を
製作。1922年(大正11年)2月11日に大阪の三越百貨店で「グリコ」の発売を開始したのが始まりで
した。
その後も江崎利一氏は「子供の二大楽しみ、食べることと遊ぶことを同時に満たす」の考えにより、
お菓子におまけを同梱したことでグリコのお菓子は大ヒット商品となりました。
今こそ世界のグリコとしてお菓子から、カップ麺、健康食品などなど食に関する様々な分野で
ヒット商品を生み出していますが、苦悩の時代がありました。
創設者の江崎利一氏は会社の後を任せようと思っていた長男が戦後まもなく他界していました。
孫もまだ幼かったため当時は専務に経営を勉強させていましたが、今後の大きな不安要素でし
た。
そのとき、江崎グリコを支えてくれたのが、同じ大阪で商売をしていた松下幸之助氏でした。
江崎氏と松下氏は古くから共に裸一貫で会社を立ち上げてきたこともあり、「文無し会」と呼び合
い、定期的に交流を積み上げてきた仲でした。
江崎利一氏が他界した後も、大学を出たばかりの孫を松下で3年ほど、経営者として教育し、
江崎グリコを背負える人物へと育てました。
江崎グリコの株が初上場されると、松下氏はまっさきに購入し、重役という立場で江崎グリコを長ら
く支えたことも有名です。
江崎氏と松下氏の関係は親友という関係を越えた心の友だったとでしょう。
日本を代表するお菓子メーカーである「江崎グリコ」は1919年(大正8年)、創業者である江崎利一
がカキの煮汁からグリコーゲンを採取し、それをキャラメルの中に入れた栄養菓子「グリコ」を
製作。1922年(大正11年)2月11日に大阪の三越百貨店で「グリコ」の発売を開始したのが始まりで
した。
その後も江崎利一氏は「子供の二大楽しみ、食べることと遊ぶことを同時に満たす」の考えにより、
お菓子におまけを同梱したことでグリコのお菓子は大ヒット商品となりました。
今こそ世界のグリコとしてお菓子から、カップ麺、健康食品などなど食に関する様々な分野で
ヒット商品を生み出していますが、苦悩の時代がありました。
創設者の江崎利一氏は会社の後を任せようと思っていた長男が戦後まもなく他界していました。
孫もまだ幼かったため当時は専務に経営を勉強させていましたが、今後の大きな不安要素でし
た。
そのとき、江崎グリコを支えてくれたのが、同じ大阪で商売をしていた松下幸之助氏でした。
江崎氏と松下氏は古くから共に裸一貫で会社を立ち上げてきたこともあり、「文無し会」と呼び合
い、定期的に交流を積み上げてきた仲でした。
江崎利一氏が他界した後も、大学を出たばかりの孫を松下で3年ほど、経営者として教育し、
江崎グリコを背負える人物へと育てました。
江崎グリコの株が初上場されると、松下氏はまっさきに購入し、重役という立場で江崎グリコを長ら
く支えたことも有名です。
江崎氏と松下氏の関係は親友という関係を越えた心の友だったとでしょう。
2013年11月29日金曜日
求められる弟子力
芸能の世界で言えば、歌舞伎や落語、職人の世界や宮大工や鍛冶職など、時間を掛けて受け継
がれてきた思想や技術を伝承していきます。
今では師匠とか、師弟関係など死後に成りつつありますが、最近改めてその関係性が見直されつ
つあります。
一般的な印象として師匠の力が問われるように思われがちですが、実は弟子の力が最も重要な
要素となるようです。
師匠に力があるのは後継者を育てる上で当たり前のことですが、師匠を信じて学びきれるかどうか
が重要で正に弟子力になります。
師匠と呼ばれ、お弟子さんを持つ方は、仕事への取り組む姿勢や技術力は確固たるモノがあるの
ですが、一人の大人として見たとき、一般人よりこだわって生きていう分、アンバラアンスな方が
多いのも特徴です。
仕事の面も私生活の面も師匠と呼べる完璧な人は少ないのが現状でしょう。
そういったある種の矛盾を受け入れ、切り分けながら、師匠の尊敬に値する部分を見続け、学び
続け、信じ続ける力が弟子力になります。
何も弟子として師匠に気を使うことができるとか、覚えが早いことだけが、弟子として評価される
力ですが、これを平たく言葉で表現すると、「最近の若い者は忍耐や根性がない」などと表現され
てしまうので、かえってわかりずらくさせているのではないでしょうか。
がれてきた思想や技術を伝承していきます。
今では師匠とか、師弟関係など死後に成りつつありますが、最近改めてその関係性が見直されつ
つあります。
一般的な印象として師匠の力が問われるように思われがちですが、実は弟子の力が最も重要な
要素となるようです。
師匠に力があるのは後継者を育てる上で当たり前のことですが、師匠を信じて学びきれるかどうか
が重要で正に弟子力になります。
師匠と呼ばれ、お弟子さんを持つ方は、仕事への取り組む姿勢や技術力は確固たるモノがあるの
ですが、一人の大人として見たとき、一般人よりこだわって生きていう分、アンバラアンスな方が
多いのも特徴です。
仕事の面も私生活の面も師匠と呼べる完璧な人は少ないのが現状でしょう。
そういったある種の矛盾を受け入れ、切り分けながら、師匠の尊敬に値する部分を見続け、学び
続け、信じ続ける力が弟子力になります。
何も弟子として師匠に気を使うことができるとか、覚えが早いことだけが、弟子として評価される
力ですが、これを平たく言葉で表現すると、「最近の若い者は忍耐や根性がない」などと表現され
てしまうので、かえってわかりずらくさせているのではないでしょうか。
2013年11月28日木曜日
下地へのこだわり
フィンセント・ゴッホはオランダ出身でポスト印象派(後期印象派)の画家ですが、代表作として
「ひまわり」や、1890年5月、精神病院を退院してパリ近郊のオーヴェル=シュル=オワーズに移り
画作を続けたが(オーヴェル時代)、7月27日、自ら銃を撃ち自殺し、生涯を終えたことはあまりにも
有名でしょう。
ゴッホがこだわったのが名作「ひまわり」などで大胆にに表現されている黄色でしょう。
ゴッホは弟テオに18年間に652通も手紙を送っています。
その内容は生活費や黄色の絵の具を送ってほしいというものだったそうです。
黄色は太陽の色であり、幸福や生命の光を感じさせ、色彩心理学的にも「希望」や「欲求」を
表わしているそうで、まさに当時の苦悩や強烈な不安や孤独感を抱いていたゴッホが必要な
ものだったものなのかもしれません。
こだわり続けた黄色には実は下地が隠されています。
それはより鮮明でより深みがある色に見せるために、下地に黄色の保護色であり紫を塗り、
その上から黄色を使用しています。
当時の印象はの画家の中でも、この技法を生み出さしたのはゴッホだけで、印象派は昼の太陽か
らの木漏れ日を繊細に表現した作品が多く、夜景など夜の風景には不向きだとされていましたが、
ゴッホだけは紫の保護色を使った深みのある黄色を使うことができるため、夜景を題材にした作品
も多く残しています。
ゴッホが好きな人は「夜のカフテリア」という作品を代表作として好まれている方が多いようです。
黄色にこだわるからこそ、黄色ではなく、紫にこだわるなど、中々簡単には行き着きません。
ゴッホの苦悩やストイックさが伺える事例だとお思います。
「ひまわり」や、1890年5月、精神病院を退院してパリ近郊のオーヴェル=シュル=オワーズに移り
画作を続けたが(オーヴェル時代)、7月27日、自ら銃を撃ち自殺し、生涯を終えたことはあまりにも
有名でしょう。
ゴッホがこだわったのが名作「ひまわり」などで大胆にに表現されている黄色でしょう。
ゴッホは弟テオに18年間に652通も手紙を送っています。
その内容は生活費や黄色の絵の具を送ってほしいというものだったそうです。
黄色は太陽の色であり、幸福や生命の光を感じさせ、色彩心理学的にも「希望」や「欲求」を
表わしているそうで、まさに当時の苦悩や強烈な不安や孤独感を抱いていたゴッホが必要な
ものだったものなのかもしれません。
こだわり続けた黄色には実は下地が隠されています。
それはより鮮明でより深みがある色に見せるために、下地に黄色の保護色であり紫を塗り、
その上から黄色を使用しています。
当時の印象はの画家の中でも、この技法を生み出さしたのはゴッホだけで、印象派は昼の太陽か
らの木漏れ日を繊細に表現した作品が多く、夜景など夜の風景には不向きだとされていましたが、
ゴッホだけは紫の保護色を使った深みのある黄色を使うことができるため、夜景を題材にした作品
も多く残しています。
ゴッホが好きな人は「夜のカフテリア」という作品を代表作として好まれている方が多いようです。
黄色にこだわるからこそ、黄色ではなく、紫にこだわるなど、中々簡単には行き着きません。
ゴッホの苦悩やストイックさが伺える事例だとお思います。
2013年11月27日水曜日
物語っている価値
人から自分の人生を一から説明して下さいと言われても、何時間あっても話しきれないのは
誰しも同じでしょう。
講演依頼とまで言わなくても、よく研修の場やちょっとしたセミナー講師を頼まれた際、講義の冒頭
に私のこれまで人生を簡単にお話下さいと言われるにはいつも困ってしまいます。
もう何年も続けている趣味も、多くの時間を費やし、経験を積み重ねてくると、初期のころに比べ、
そのモノの魅力の奥深さや自分自身の趣味との向き合い方もより一層、マニアックになっている
だと思います。
表面的な価値は誰でもわかりますが、目で見るだけでは伝わらない一層も二層も深みの増した
魅力を伝えようと思うと、物事を遡り、順を追って説明しなければなりません。
この時の説明がどうしても長くなってしまうため、物語調で説明することが他者には分かりやすい
のでしょう。
「良い品物には物語が見える」とよく言われますが、時間の風雪に耐え、現在に受け継がれている
モノにはその存在自体が何かの付加価値を物語ってきます。
日々の生活も仕事も、物語ってくるような意味深いものにしていきたいですね。
誰しも同じでしょう。
講演依頼とまで言わなくても、よく研修の場やちょっとしたセミナー講師を頼まれた際、講義の冒頭
に私のこれまで人生を簡単にお話下さいと言われるにはいつも困ってしまいます。
もう何年も続けている趣味も、多くの時間を費やし、経験を積み重ねてくると、初期のころに比べ、
そのモノの魅力の奥深さや自分自身の趣味との向き合い方もより一層、マニアックになっている
だと思います。
表面的な価値は誰でもわかりますが、目で見るだけでは伝わらない一層も二層も深みの増した
魅力を伝えようと思うと、物事を遡り、順を追って説明しなければなりません。
この時の説明がどうしても長くなってしまうため、物語調で説明することが他者には分かりやすい
のでしょう。
「良い品物には物語が見える」とよく言われますが、時間の風雪に耐え、現在に受け継がれている
モノにはその存在自体が何かの付加価値を物語ってきます。
日々の生活も仕事も、物語ってくるような意味深いものにしていきたいですね。
2013年11月26日火曜日
成し得ること
中国の春秋時代の思想家老子が書いたと伝えられる「老子道徳教」の第7章に、
天は長く地は久(ひさ)し。天地の能(よ)く長く且(か)つ久しき所以(ゆえん)の者は、その自(みずか)
ら生(しょう)ぜざるをもって、故(ゆえ)に能く長生(ちょうせい)す。
ここをもって聖人は、その身(み)を後にして而(しか)も身は先(さき)んじ、その身を外にして而も
身は存(そん)す。
その無私なるをもってに非(あら)ずや。故に能くその私(わたくし)を成す。
とあります。
(要訳)
天は永遠であり、地は久遠である。天地がその様に永久であるのは、自ら永久であろうとする
意志が無いからだ。だから「道」を知った聖人はわが身を後回しにしながら周囲に推されてその
身は人の前に立ち、わが身を人の外側に置きながら周囲に推されてその身は人の中心にある。
これはその人が無私無欲であるからではないだろうか。無私無欲であるからこそ、自分をつらぬい
ていけるのだ。
この第7章は老子が「かんながら」の極意について触れられている貴重な章です。
大木は大木自らが望んで長い樹齢を手にした訳ではなく、大河も大河自身が望んで大きくなった
訳ではない。
自然の中で求められ、与えられ、今の形へと行き着いたまでのことだと考えると、人間は自分が
何らかの成功を収めたいという想い=自我より、周囲の人の役に立つことに専念することで、
自分自身にあった成功の姿へと他者が導いてくれる。
それが「成り得る」という本来の姿ではないかと老子は伝えているように思います。
天は長く地は久(ひさ)し。天地の能(よ)く長く且(か)つ久しき所以(ゆえん)の者は、その自(みずか)
ら生(しょう)ぜざるをもって、故(ゆえ)に能く長生(ちょうせい)す。
ここをもって聖人は、その身(み)を後にして而(しか)も身は先(さき)んじ、その身を外にして而も
身は存(そん)す。
その無私なるをもってに非(あら)ずや。故に能くその私(わたくし)を成す。
とあります。
(要訳)
天は永遠であり、地は久遠である。天地がその様に永久であるのは、自ら永久であろうとする
意志が無いからだ。だから「道」を知った聖人はわが身を後回しにしながら周囲に推されてその
身は人の前に立ち、わが身を人の外側に置きながら周囲に推されてその身は人の中心にある。
これはその人が無私無欲であるからではないだろうか。無私無欲であるからこそ、自分をつらぬい
ていけるのだ。
この第7章は老子が「かんながら」の極意について触れられている貴重な章です。
大木は大木自らが望んで長い樹齢を手にした訳ではなく、大河も大河自身が望んで大きくなった
訳ではない。
自然の中で求められ、与えられ、今の形へと行き着いたまでのことだと考えると、人間は自分が
何らかの成功を収めたいという想い=自我より、周囲の人の役に立つことに専念することで、
自分自身にあった成功の姿へと他者が導いてくれる。
それが「成り得る」という本来の姿ではないかと老子は伝えているように思います。
2013年11月25日月曜日
勤労感謝の日
11月23日は「勤労感謝の日」であり、国民の祝日として1948年(昭和23年)に公布・施行された
同法により制定されました。
国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)第2条によれば、「勤労をたつ
とび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」ことを趣旨としていますが、実は本当の意味とは
異なります。
農業国家である日本は、古くから神々に五穀の収穫を祝う風習がありました。
その年の収穫物は国家としてもそれからの一年を養う大切な蓄えとなることから、収穫物に感謝す
る大事な行事として飛鳥時代の皇極天皇の時代に始まった新嘗祭(にいなめさい、しんじょうさい)
の日が第二次世界大戦後のGHQの占領政策によって天皇行事・国事行為から切り離される形で
改められたものが現在の「勤労感謝の日」になります。
ですから、「勤労」の意味とは「肉体的な労働によって物品等を生産するということにのみ終始する
ものではありません。
精神的な方面においても一日一日を真剣に考え、物事の本質へと深めてゆく研究態度にも勤労の
大きい意味は存在し、創造し、生産していくことの貴重な意義ある生活が営まれていくことが出来
る。
物質的にも、精神的にも広い意味での文化財を建設してゆくことは、生産ということの正しい理解
の仕方である」と戦後発行された衆議院文化委員受田新吉著の「日本の新しい祝日」には記載さ
れています。
自然に寄り添い、自然に感謝の念を忘れない日本人らしい文化が戦後、断ち切られていることが
この「勤労感謝の日」からも知り得ることができるのだと感じます。
同法により制定されました。
国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)第2条によれば、「勤労をたつ
とび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」ことを趣旨としていますが、実は本当の意味とは
異なります。
農業国家である日本は、古くから神々に五穀の収穫を祝う風習がありました。
その年の収穫物は国家としてもそれからの一年を養う大切な蓄えとなることから、収穫物に感謝す
る大事な行事として飛鳥時代の皇極天皇の時代に始まった新嘗祭(にいなめさい、しんじょうさい)
の日が第二次世界大戦後のGHQの占領政策によって天皇行事・国事行為から切り離される形で
改められたものが現在の「勤労感謝の日」になります。
ですから、「勤労」の意味とは「肉体的な労働によって物品等を生産するということにのみ終始する
ものではありません。
精神的な方面においても一日一日を真剣に考え、物事の本質へと深めてゆく研究態度にも勤労の
大きい意味は存在し、創造し、生産していくことの貴重な意義ある生活が営まれていくことが出来
る。
物質的にも、精神的にも広い意味での文化財を建設してゆくことは、生産ということの正しい理解
の仕方である」と戦後発行された衆議院文化委員受田新吉著の「日本の新しい祝日」には記載さ
れています。
自然に寄り添い、自然に感謝の念を忘れない日本人らしい文化が戦後、断ち切られていることが
この「勤労感謝の日」からも知り得ることができるのだと感じます。
2013年11月24日日曜日
大物食いできる人
最近のサッカー日本代表は常にアジアNo.1の座を保ち、世界強豪国へ割って入ろうとしていま
す。
その要因にあるものは、プレイヤーの強い自己マインドであることがよくわかります。
特にチームを牽引している本多選手から印象深い言葉をきくことができますが、先日16日の
オランダ戦を前に「あぐらをかいたオランダに一泡噴かせてやる。きっと90分間、安心して
サッカーができなくなるだろう」と言っています。
20日にアウェーで戦った世界ランク5位のベルギー戦の前にも、「ベルギーは今でこそ、世界的に
評価の高い国だが、オランダと違ってサッカーの歴史がない。臆することは何もない。」と言い切っ
ていました。
結果、オランダは負けに等しいドロー、ベルギーには内容も申し分ない勝利を納めています。
今朝の新聞紙面でも12月6日(現地時間)にあるW杯抽選会に対して、死のグループになったら
との質問に、本多選手のコメントして、「死のグループ大歓迎。そんなときこそ、大物食いできるチャ
ンス」と言っています。
どんな状況下に置かれても、自分の望む結果を得ようとすれば、まずは向き合うものと臆してい
ては前向きな意識は働かないでしょう。
だからこそ、自分が不安や恐怖から自由になれる要素を見つけ、可能性を見出し、優位性を
高めていくことができます。
良い結果を導く人の共通した思考だと思います。
す。
その要因にあるものは、プレイヤーの強い自己マインドであることがよくわかります。
特にチームを牽引している本多選手から印象深い言葉をきくことができますが、先日16日の
オランダ戦を前に「あぐらをかいたオランダに一泡噴かせてやる。きっと90分間、安心して
サッカーができなくなるだろう」と言っています。
20日にアウェーで戦った世界ランク5位のベルギー戦の前にも、「ベルギーは今でこそ、世界的に
評価の高い国だが、オランダと違ってサッカーの歴史がない。臆することは何もない。」と言い切っ
ていました。
結果、オランダは負けに等しいドロー、ベルギーには内容も申し分ない勝利を納めています。
今朝の新聞紙面でも12月6日(現地時間)にあるW杯抽選会に対して、死のグループになったら
との質問に、本多選手のコメントして、「死のグループ大歓迎。そんなときこそ、大物食いできるチャ
ンス」と言っています。
どんな状況下に置かれても、自分の望む結果を得ようとすれば、まずは向き合うものと臆してい
ては前向きな意識は働かないでしょう。
だからこそ、自分が不安や恐怖から自由になれる要素を見つけ、可能性を見出し、優位性を
高めていくことができます。
良い結果を導く人の共通した思考だと思います。
2013年11月23日土曜日
シャガールの魅力
先日、広島県立美術館で開催している、シャガール展へ足を運びました。
私が絵画に興味を持つきっかけになった画家ですので、何かご縁があるように思ってなりません。
以前も東京などで、大規模なシャガール展は何回か行われていましたが、今回の企画の特徴は
絵画に留まらず、壁画や彫刻などの造作物などが、どのような工程を経て、作られたのかという
視点で、下絵や参考物のデッサン、色の配色スケッチなど、これまでの展示会では触れることの
ないモノが多くあり、深みのある企画展となっていました。
特に充実していた展示として、フランスのオペラ座の天井壁画のコンセプトを固める為のメモや
下絵やデッサン、色つけなど細かなディテールを試行錯誤している彼の様子が感じられる
モノが多く展示していました。
作品として完成するまでの間の工程を見てみると、いくつもの工程の中で少しづつ形付けられて、
まるで作品に生命を吹き込んでいくようでした。
一つひとつの作品に厚みや深さがあり、ケーキのミルフィーユのように何層も積み上げられている
ようです。
シャガールの魅力はなんといっても、何にも臆することなく、自身の想いをありのまま、表現されて
いて、また突き抜けていて、その造作過程の苦しみや悲しみ、葛藤や喜びなど、人が持つ光と影が
伝わってきます。
シャガールの作品を観ると、彼の底なしの創造性にはいつも驚かされ、自分の中にある現実社会
に合わせようとする
偽った気持ちがあることに気づかされます。
私が絵画に興味を持つきっかけになった画家ですので、何かご縁があるように思ってなりません。
以前も東京などで、大規模なシャガール展は何回か行われていましたが、今回の企画の特徴は
絵画に留まらず、壁画や彫刻などの造作物などが、どのような工程を経て、作られたのかという
視点で、下絵や参考物のデッサン、色の配色スケッチなど、これまでの展示会では触れることの
ないモノが多くあり、深みのある企画展となっていました。
特に充実していた展示として、フランスのオペラ座の天井壁画のコンセプトを固める為のメモや
下絵やデッサン、色つけなど細かなディテールを試行錯誤している彼の様子が感じられる
モノが多く展示していました。
作品として完成するまでの間の工程を見てみると、いくつもの工程の中で少しづつ形付けられて、
まるで作品に生命を吹き込んでいくようでした。
一つひとつの作品に厚みや深さがあり、ケーキのミルフィーユのように何層も積み上げられている
ようです。
シャガールの魅力はなんといっても、何にも臆することなく、自身の想いをありのまま、表現されて
いて、また突き抜けていて、その造作過程の苦しみや悲しみ、葛藤や喜びなど、人が持つ光と影が
伝わってきます。
シャガールの作品を観ると、彼の底なしの創造性にはいつも驚かされ、自分の中にある現実社会
に合わせようとする
偽った気持ちがあることに気づかされます。
2013年11月22日金曜日
縮景園
縮景園は1619(元和5)年に福島正則転封 のあと紀伊 から入部した藩主浅野長 晟 が、
その翌年 に別邸 として築造 したもので、泉水 ・泉邸 の名で広島の人々によく知られています。
庭園は二葉山と己斐山 を借景とし、中央に濯纓池(たくえいち)をおき、山・河 ・滝 ・橋・島・奇岩 ・
花鳥・建物などを巧 みに配した廻遊式庭園 です。
回遊式庭園というと聞き慣れないですが、庭を歩き回ることで楽しめるように、設計されている
様式のことを指します。
日本の三大庭園は水戸の偕楽園、金沢の兼六園、岡山の後楽園と言われていますが、
三園とも以前、足を運んでいますが、縮景園は書いて字のごとく、コンパクトにまとめられた
日本庭園です。
1620年、広島藩主となった浅野長晟が茶人であった家老の上田宗箇に作庭を命じ作られたことも
あって茶室もあり、年間を通して茶会が開かれています。
中国の湖畔をモデルにして作られた濯纓池の水源は隣に流れる京橋川から引いていますが、
河口近くであるため、水質は弱塩水で、池には鯉と鯔が共存しています。
広島の歴史を考えると、常に原爆被爆前後に分けられます。
縮景園も被爆直後は市民の避難所としても使われましたが、縮景園にたどり着いた多くの被爆者
が息絶え、縮景園に土葬された経緯もあって、園内に慰霊碑も設置されています。
春には梅林が満開になるそうなので、その時にはまた足を運びたいと思います。
その
庭園は二葉山と
花鳥・建物などを
回遊式庭園というと聞き慣れないですが、庭を歩き回ることで楽しめるように、設計されている
様式のことを指します。
日本の三大庭園は水戸の偕楽園、金沢の兼六園、岡山の後楽園と言われていますが、
三園とも以前、足を運んでいますが、縮景園は書いて字のごとく、コンパクトにまとめられた
日本庭園です。
1620年、広島藩主となった浅野長晟が茶人であった家老の上田宗箇に作庭を命じ作られたことも
あって茶室もあり、年間を通して茶会が開かれています。
中国の湖畔をモデルにして作られた濯纓池の水源は隣に流れる京橋川から引いていますが、
河口近くであるため、水質は弱塩水で、池には鯉と鯔が共存しています。
広島の歴史を考えると、常に原爆被爆前後に分けられます。
縮景園も被爆直後は市民の避難所としても使われましたが、縮景園にたどり着いた多くの被爆者
が息絶え、縮景園に土葬された経緯もあって、園内に慰霊碑も設置されています。
春には梅林が満開になるそうなので、その時にはまた足を運びたいと思います。
2013年11月20日水曜日
理想を持つ大切さ
毎日を充実した日にしたいと思うことは皆、誰しも思うことでしょう。
一日24時間、皆に平等に時間を与えられ、その中で何を考え、何を実践してきたかで
自分の価値や立場、存在感などが明確に他者との差となり、出てきますし、
何より自分の人生を楽しみ、豊かさや幸福感を実感できているかどうかが生き甲斐を得れる
かどうか、大切なことだと思います。
日々を充実させている人の特徴として共通していることは、自分らしい、自分の理想の成功の
姿を強くイメージし、育てることができます。
例えば、気持ちが弱ってしまったとき、理想に近い人の著書を読んだり、掃除をすることで
心を整えたりなどなど。
自分の成功イメージが弱ってしまう傾向と対策ををしっかりと構築し、持続可能な良い習慣を
生み出しています。
人は日々の生活の中で、自分をストイックに管理し、能力を高めることに限界が無ければ、
堕落し続づけ、楽を求めることにも限界がありません。
目線を高い位置に置き続けるには、自分の理想を強くイメージし続けるための工夫と
理想に確実に近づいていると実感できる身近な目標や課題をクリアしていく習慣が大切なの
だと実感します。
一日24時間、皆に平等に時間を与えられ、その中で何を考え、何を実践してきたかで
自分の価値や立場、存在感などが明確に他者との差となり、出てきますし、
何より自分の人生を楽しみ、豊かさや幸福感を実感できているかどうかが生き甲斐を得れる
かどうか、大切なことだと思います。
日々を充実させている人の特徴として共通していることは、自分らしい、自分の理想の成功の
姿を強くイメージし、育てることができます。
例えば、気持ちが弱ってしまったとき、理想に近い人の著書を読んだり、掃除をすることで
心を整えたりなどなど。
自分の成功イメージが弱ってしまう傾向と対策ををしっかりと構築し、持続可能な良い習慣を
生み出しています。
人は日々の生活の中で、自分をストイックに管理し、能力を高めることに限界が無ければ、
堕落し続づけ、楽を求めることにも限界がありません。
目線を高い位置に置き続けるには、自分の理想を強くイメージし続けるための工夫と
理想に確実に近づいていると実感できる身近な目標や課題をクリアしていく習慣が大切なの
だと実感します。
2013年11月19日火曜日
経済の在り方
毎日のように景気動向や経済対策が新聞紙面を賑わせていますが、経済社会で生きる
現代人にとっては消費税増税やTPP交渉など色々と心配の種は尽きません。
景気良好の兆しを感じれるのは、大手企業の冬のボーナスが上がるなどの嬉しい話も
耳に入ってきていますが、自分の幸せと社会経済は切っても切れない関係にあります。
その経済力が国同士も、個人同士も二極化してきています。
その背景にあるが、経済力のある側が経済力の無い側をコントロールしようとしていることだと
思います。
そもそも「経済とは」というところから考えていくと、最も古い例は東晋の葛洪によって記された
『抱朴子』(ほうぼくし)に遡るとされます。
経済とは経世済民(経国済民とも)「世を経(おさ)め、民を済(すく)う」の意味であり、
世の中を上手におさめ、人々を苦しみから救うものであり、昔から経済だけでなく、政治的・
社会的にも広い意味で使われていました。
「世のため人のため」ということが、もともとの意味だった経済が、江戸後期に入って次第に
貨幣経済が浸透すると「經濟」のなかでも「社会生活を営むのに必要な生産・消費・売買などの
活動」という側面が強調されるようになり、幕末期になり、新たに交流が始まったイギリスなどから
古典派経済学の文献が輸入されるようになると、「経済」の語は新たに"economy"の訳語として
用いられるようになりました。
国民の生活を助け、安定させる為の経済が、今では為替や先物取引など、誰もコントロールする
ことができないモノになってしまっています。
今一度、通貨や経済との関わり方を考える時期にあるのだと思います。
現代人にとっては消費税増税やTPP交渉など色々と心配の種は尽きません。
景気良好の兆しを感じれるのは、大手企業の冬のボーナスが上がるなどの嬉しい話も
耳に入ってきていますが、自分の幸せと社会経済は切っても切れない関係にあります。
その経済力が国同士も、個人同士も二極化してきています。
その背景にあるが、経済力のある側が経済力の無い側をコントロールしようとしていることだと
思います。
そもそも「経済とは」というところから考えていくと、最も古い例は東晋の葛洪によって記された
『抱朴子』(ほうぼくし)に遡るとされます。
経済とは経世済民(経国済民とも)「世を経(おさ)め、民を済(すく)う」の意味であり、
世の中を上手におさめ、人々を苦しみから救うものであり、昔から経済だけでなく、政治的・
社会的にも広い意味で使われていました。
「世のため人のため」ということが、もともとの意味だった経済が、江戸後期に入って次第に
貨幣経済が浸透すると「經濟」のなかでも「社会生活を営むのに必要な生産・消費・売買などの
活動」という側面が強調されるようになり、幕末期になり、新たに交流が始まったイギリスなどから
古典派経済学の文献が輸入されるようになると、「経済」の語は新たに"economy"の訳語として
用いられるようになりました。
国民の生活を助け、安定させる為の経済が、今では為替や先物取引など、誰もコントロールする
ことができないモノになってしまっています。
今一度、通貨や経済との関わり方を考える時期にあるのだと思います。
2013年11月18日月曜日
生きている間にすること
自分は何のために生まれていきたのかと悩まれる時期は誰にでもあることでしょう。
そんな時は決まって、人生がうまくいかず、自分を見失っている時だと思います。
原因は人によって異なりますが、自信を無くしたり、自分では頑張ったつもりなのに、
周囲の人が評価してくれなったりなどなど。
そんな時は「自分は頑張っているのに」や、「何で自分ばっかり不幸になるのか」など、
思考の主語が常に「自分」になり、周囲の人たちの思いが感じ取れなくなっている状態に
なってりまいます。
調子が良い時も同様で、「自分がやったんだ」、「自分はこんなにできるんだ」と、自分の力に過信
してしまい、周囲の人たちの協力を感じれなくなってしまいます。
自分の思考の主語は「みんな」であるときは周囲の人たちのことが見えているのだと思います。
だからこそ、頼まれた仕事を受けるということは、自分自身の周囲の人たちの評価や存在意義を
理解する大切なことです。
どんな仕事をどこまでの成果で頼まれるのかを明確に認知し、期待以上の成果で答えていくことが
自分が生かされる理由でもあるのだと思います。
最後に森信三先生の言葉を借りると、
「思い上がらず、下座に徹して生きる時、天が君を助けてくれる」ということでしょうか。
そんな時は決まって、人生がうまくいかず、自分を見失っている時だと思います。
原因は人によって異なりますが、自信を無くしたり、自分では頑張ったつもりなのに、
周囲の人が評価してくれなったりなどなど。
そんな時は「自分は頑張っているのに」や、「何で自分ばっかり不幸になるのか」など、
思考の主語が常に「自分」になり、周囲の人たちの思いが感じ取れなくなっている状態に
なってりまいます。
調子が良い時も同様で、「自分がやったんだ」、「自分はこんなにできるんだ」と、自分の力に過信
してしまい、周囲の人たちの協力を感じれなくなってしまいます。
自分の思考の主語は「みんな」であるときは周囲の人たちのことが見えているのだと思います。
だからこそ、頼まれた仕事を受けるということは、自分自身の周囲の人たちの評価や存在意義を
理解する大切なことです。
どんな仕事をどこまでの成果で頼まれるのかを明確に認知し、期待以上の成果で答えていくことが
自分が生かされる理由でもあるのだと思います。
最後に森信三先生の言葉を借りると、
「思い上がらず、下座に徹して生きる時、天が君を助けてくれる」ということでしょうか。
2013年11月16日土曜日
子どもの七五三
七五三は古くからの風習である三才の「髪置」、五才の「袴着」、7才の「帯解」に由来する
と言われています。
11月15日に盛大にお祝いするようになったのは、江戸時代からのことで、五代将軍、徳川綱吉の
息子の徳松の健康を盛大に祈願いたことから、それが庶民に広がったとも言われています。
現代とは違い、当時は医療も進んでいなかったために乳幼児の死亡率も高く、子どもを七五三の
年齢まで育てることは大変なことでした。
「七つまでは神の内」と言われ、七つまでの成長は神様にお任せするしかないというのが当時の
親の心境で、無事に七五三の年齢まで見守って下さった氏神様やご先祖様へ感謝の心を
伝える意味で参拝することを七五三という行事に込められています。
以前、東京国立博物館で古代エジプト文明展を見た際、数多くのミイラが展示してありました。
権威ある者が死ぬと、その者の生き返りを信じて焼いたり、土に埋めることなく、体の全ての水分を
抜き取り、ミイラとして安置されます。
しかし、大部分を占めるのが子どものミイラでした。
当時のエジプトでも、子どもは弱さの象徴であり、早くに子どもに先立たれた親の思いがミイラに
込められていたのだと思います。
先進国に生まれると、死が遠く感じてしまいますが、七五三という行事を通じて改めて、
生きやすい環境が素晴らしいことなのだと実感していきたいものです。
と言われています。
11月15日に盛大にお祝いするようになったのは、江戸時代からのことで、五代将軍、徳川綱吉の
息子の徳松の健康を盛大に祈願いたことから、それが庶民に広がったとも言われています。
現代とは違い、当時は医療も進んでいなかったために乳幼児の死亡率も高く、子どもを七五三の
年齢まで育てることは大変なことでした。
「七つまでは神の内」と言われ、七つまでの成長は神様にお任せするしかないというのが当時の
親の心境で、無事に七五三の年齢まで見守って下さった氏神様やご先祖様へ感謝の心を
伝える意味で参拝することを七五三という行事に込められています。
以前、東京国立博物館で古代エジプト文明展を見た際、数多くのミイラが展示してありました。
権威ある者が死ぬと、その者の生き返りを信じて焼いたり、土に埋めることなく、体の全ての水分を
抜き取り、ミイラとして安置されます。
しかし、大部分を占めるのが子どものミイラでした。
当時のエジプトでも、子どもは弱さの象徴であり、早くに子どもに先立たれた親の思いがミイラに
込められていたのだと思います。
先進国に生まれると、死が遠く感じてしまいますが、七五三という行事を通じて改めて、
生きやすい環境が素晴らしいことなのだと実感していきたいものです。
2013年11月15日金曜日
沈黙の時間
フランスの思想家であり、科学者でもあるパスカルが「人間は考える葦であり、人間は孤独で
弱いが,考えることができることにその偉大と尊厳がある」という有名な言葉を残しています。
人はこの世に生まれた時から死ぬまで、脳を使って考えることを止めません。
毎日を生きるということは毎日、何かを考えているということとイコールになっています。
昔から、よりよく生きるための工夫として、一日の中で沈黙の時間をとっています。
禅宗では座禅を組むlことで、頭で何かを考えたりするのは雑念であって、断ち切るべきものと
されますし、自分はこういうふうにやってやろう」とか、「こういうものを手に入れよう」というのは、
「自分が、自分が」という狭い「分別(ふんべつ)」に過ぎないことに気づいていく機会としています。
またヨガなどでは、「瞑想」と言われる目を閉じて肉体が眠ったまま、意識が覚醒した状態を
作ります。
これを「変性意識」状態と言い、気づいていない心の声に気づき、本当の自分を知り得る機会とし、
自分の理想の姿のイメージを強めることで自分自身の思考と行動をコントロールしていきます。
生きているからこそ、無意識の中でも考えてしまいますので、沈黙の時間を作る習慣が重要なので
しょう。
弱いが,考えることができることにその偉大と尊厳がある」という有名な言葉を残しています。
人はこの世に生まれた時から死ぬまで、脳を使って考えることを止めません。
毎日を生きるということは毎日、何かを考えているということとイコールになっています。
昔から、よりよく生きるための工夫として、一日の中で沈黙の時間をとっています。
禅宗では座禅を組むlことで、頭で何かを考えたりするのは雑念であって、断ち切るべきものと
されますし、自分はこういうふうにやってやろう」とか、「こういうものを手に入れよう」というのは、
「自分が、自分が」という狭い「分別(ふんべつ)」に過ぎないことに気づいていく機会としています。
またヨガなどでは、「瞑想」と言われる目を閉じて肉体が眠ったまま、意識が覚醒した状態を
作ります。
これを「変性意識」状態と言い、気づいていない心の声に気づき、本当の自分を知り得る機会とし、
自分の理想の姿のイメージを強めることで自分自身の思考と行動をコントロールしていきます。
生きているからこそ、無意識の中でも考えてしまいますので、沈黙の時間を作る習慣が重要なので
しょう。
2013年11月14日木曜日
給料の意味とは
ここ最近、「ブラック企業」というキーワードをよく耳にします。
今年で2回目となるブラック企業大賞の発表も話題になっています。
ブラック企業には若い人を使い捨てにする一面もありますが、私の過去の職歴で何社か
ご縁を頂き勤めた企業は今振り返ると、ほとんどブラック企業でした。
切り捨てられるダメ社員の反対に、結果や能力を認められて、高年俸をもらう社員もいます。
個人の結果や能力を企業が適切に評価し、給料へ反映させることは企業や一社員が成長する
上で理に叶っていることであり、重要なことですが、はき違えてはいけないのが、
毎月の給料とは日々の実生活を保障、安定そのものであり、決して労働の切り売りではないと
いうこと。
バリバリの営業会社と豪語する企業もよくありますが、ノルマ目標が厳しく、ノルマを達成しなけれ
ば会社には居れなくなる。
しかし、ノルマを達成すればどんどん給料やポジションが高くなり、若い社員に夢を見せます。
毎月の仕事の結果如何で、簡単に給料を上下させることに何の意味もなく、人生の基礎である
家族の生活そのものを軽視した、企業側の雇用に対する無責任な姿勢そのものです。
日々の家族の生活が営みであり、家族の幸せであり、国そのものであり、その生活を築く
毎月の給料とはとても神聖なものだと思います。
今年で2回目となるブラック企業大賞の発表も話題になっています。
ブラック企業には若い人を使い捨てにする一面もありますが、私の過去の職歴で何社か
ご縁を頂き勤めた企業は今振り返ると、ほとんどブラック企業でした。
切り捨てられるダメ社員の反対に、結果や能力を認められて、高年俸をもらう社員もいます。
個人の結果や能力を企業が適切に評価し、給料へ反映させることは企業や一社員が成長する
上で理に叶っていることであり、重要なことですが、はき違えてはいけないのが、
毎月の給料とは日々の実生活を保障、安定そのものであり、決して労働の切り売りではないと
いうこと。
バリバリの営業会社と豪語する企業もよくありますが、ノルマ目標が厳しく、ノルマを達成しなけれ
ば会社には居れなくなる。
しかし、ノルマを達成すればどんどん給料やポジションが高くなり、若い社員に夢を見せます。
毎月の仕事の結果如何で、簡単に給料を上下させることに何の意味もなく、人生の基礎である
家族の生活そのものを軽視した、企業側の雇用に対する無責任な姿勢そのものです。
日々の家族の生活が営みであり、家族の幸せであり、国そのものであり、その生活を築く
毎月の給料とはとても神聖なものだと思います。
2013年11月13日水曜日
どこにでもありそうで、どこにもない
以前、香川県に仕事で訪れた際に、宿泊ホテルの近くにあったせとうち美術館で初めて、
日本画家の巨匠、東山魁夷氏の絵を拝見しました。
「白馬の森」や「夕星」、今頃の時期では「秋翳」の紅葉の鮮やかな表現力には圧倒されます。
東山氏の作品はどれも美しさや洗練さ、緻密さなど多くの魅力がありますが、その奥深い
魅力を氏は生前、「どこにでもありそうで、どこにもない」のが私の絵だと言い残しています。
最近の近代芸術は奇抜さや意外性など、何か奇を衒うかような作品が多いように感じて
いましたが、東山氏の作品と向き合うと、勝手に心が反応してしまっているような気持ちがします。
それは何か懐かしく、引き込まれる世界感があります。
「どこにでもありそう」という意味は、いつまでも皆の心に存在する思いや感性であり、
「どこにもない」という意味は、現実社会を生きる上で無くなってしまった風景や忘れさられようと
しているような思いだと思います。
そのような普遍的で人が人としてあるべく価値観を具体的に表現できることはモノつくりを
手掛ける者として最高の仕事だと思いますし、いつかはそのようなデザインを手掛けることが
できればと願います。
日本画家の巨匠、東山魁夷氏の絵を拝見しました。
「白馬の森」や「夕星」、今頃の時期では「秋翳」の紅葉の鮮やかな表現力には圧倒されます。
東山氏の作品はどれも美しさや洗練さ、緻密さなど多くの魅力がありますが、その奥深い
魅力を氏は生前、「どこにでもありそうで、どこにもない」のが私の絵だと言い残しています。
最近の近代芸術は奇抜さや意外性など、何か奇を衒うかような作品が多いように感じて
いましたが、東山氏の作品と向き合うと、勝手に心が反応してしまっているような気持ちがします。
それは何か懐かしく、引き込まれる世界感があります。
「どこにでもありそう」という意味は、いつまでも皆の心に存在する思いや感性であり、
「どこにもない」という意味は、現実社会を生きる上で無くなってしまった風景や忘れさられようと
しているような思いだと思います。
そのような普遍的で人が人としてあるべく価値観を具体的に表現できることはモノつくりを
手掛ける者として最高の仕事だと思いますし、いつかはそのようなデザインを手掛けることが
できればと願います。
2013年11月12日火曜日
物々交換の価値
人類の商いの原点は物々交換の時代ではないでしょうか。
物々交換とは、読んで字のごとくですが、自給自足が生活の基本にある中で、自分で作った
農作物や猟(漁)で得た獲物などを互いの対価に見合う物を交換し合うものでした。
現代は通貨の安定した流通、安定した価値が保たれているおかげで、物々交換の時代のような、
気候に影響されるような不確実で不安定さがなく、価値の変動が少ない通貨を中心とした社会構
築ができ、貯蓄や投資が容易で、実生活にも計画性が見いだせるうようになりました。
この通貨が物を提供した際の対価として支払われることで、起きているのも事実です。
それは最近、また表沙汰になっている虚偽、偽装という行為で、食品産地を偽装しそもそも
掛かるコストを低コストの食材に変えて儲け幅を増やす。
わかりずらところで言うと、お米を作る農家では自分の家族が食べる田んぼは無農薬で
作り、出荷し売る為のお米はなるべく手間をかけず大量に作るため、農薬を沢山使って作ります。
支払う側が気づかなければ少しぐらい、質を下げても構わないということでしょうか。
物々交換の時には現代のような嘘は少なかったのではと思います。
それは自給自足が基本であり、自分で作り、自分で食べる物をほかの人に分け売るという
ことに偽りはないのでしょう。
物々交換とは、読んで字のごとくですが、自給自足が生活の基本にある中で、自分で作った
農作物や猟(漁)で得た獲物などを互いの対価に見合う物を交換し合うものでした。
現代は通貨の安定した流通、安定した価値が保たれているおかげで、物々交換の時代のような、
気候に影響されるような不確実で不安定さがなく、価値の変動が少ない通貨を中心とした社会構
築ができ、貯蓄や投資が容易で、実生活にも計画性が見いだせるうようになりました。
この通貨が物を提供した際の対価として支払われることで、起きているのも事実です。
それは最近、また表沙汰になっている虚偽、偽装という行為で、食品産地を偽装しそもそも
掛かるコストを低コストの食材に変えて儲け幅を増やす。
わかりずらところで言うと、お米を作る農家では自分の家族が食べる田んぼは無農薬で
作り、出荷し売る為のお米はなるべく手間をかけず大量に作るため、農薬を沢山使って作ります。
支払う側が気づかなければ少しぐらい、質を下げても構わないということでしょうか。
物々交換の時には現代のような嘘は少なかったのではと思います。
それは自給自足が基本であり、自分で作り、自分で食べる物をほかの人に分け売るという
ことに偽りはないのでしょう。
2013年11月11日月曜日
多様な成果
ひと昔前の皆と同じであることで安心し、皆と同じことが良かったとさた時代が過ぎ、
個々を際立たせることでステイタスを明確にし、人との違いから優越感を持つ時代になって
きました。
個々にあったライフスタイルで、個々にあった付加価値で、個々にあった満足感が求められう
中、仕事への考え方も同じことが言えます。
だからこそ、最近のビジネス書にはダイバーシティというキーワードがよく目に付くようになりました
が、実際に企業現場でダイバーシティが構築されているケースはまだまだ少ないようです。
企業として、言葉では「個々人の個性や能力を認め合う」と言っても、個人個人がやりたいこと、
気の向くことだけやれば良いという訳でもありません。
個人の個性や能力が事業の成果、結果に結びついていなければ、ただの放任された現場が
あるだけで、好き勝手なことを個々が勝手な判断でやっているだけの状態に陥ってしまい
成りかねません。
ダイバーシティの本質は個々の個性や能力、いわゆる多様性を認めると共に、事業に対する
多様な成果、結果を認めながら、事業の新たな可能性や広がりをマネージメントしていくことだと
思います。
これまでの企業や事業部では、サラリーを貰う上で皆、平等でなくてはならないという支払う側の
平等が定義の上で根本にあり、ノルマも一緒であれば、マニュアルも一緒でそのやり方が合う
人が成果を出しやすい環境がありました。。
しかし、多様性を受け入れることを考えれば、やり方や何を持って成果とするのかまで、個々に
応じた設定が必要となります。
多様性を認めるということが個人の存在を認めるということに留まらないのです。
個々を際立たせることでステイタスを明確にし、人との違いから優越感を持つ時代になって
きました。
個々にあったライフスタイルで、個々にあった付加価値で、個々にあった満足感が求められう
中、仕事への考え方も同じことが言えます。
だからこそ、最近のビジネス書にはダイバーシティというキーワードがよく目に付くようになりました
が、実際に企業現場でダイバーシティが構築されているケースはまだまだ少ないようです。
企業として、言葉では「個々人の個性や能力を認め合う」と言っても、個人個人がやりたいこと、
気の向くことだけやれば良いという訳でもありません。
個人の個性や能力が事業の成果、結果に結びついていなければ、ただの放任された現場が
あるだけで、好き勝手なことを個々が勝手な判断でやっているだけの状態に陥ってしまい
成りかねません。
ダイバーシティの本質は個々の個性や能力、いわゆる多様性を認めると共に、事業に対する
多様な成果、結果を認めながら、事業の新たな可能性や広がりをマネージメントしていくことだと
思います。
これまでの企業や事業部では、サラリーを貰う上で皆、平等でなくてはならないという支払う側の
平等が定義の上で根本にあり、ノルマも一緒であれば、マニュアルも一緒でそのやり方が合う
人が成果を出しやすい環境がありました。。
しかし、多様性を受け入れることを考えれば、やり方や何を持って成果とするのかまで、個々に
応じた設定が必要となります。
多様性を認めるということが個人の存在を認めるということに留まらないのです。
2013年11月10日日曜日
個を自覚する時代
時代の転換期で、ここ数年の間に国や組織、団体という大きな枠組み作りはこれまでの
ような統率力や抑制力、牽引力を発揮しずらくなってきました。
その要因の一つにITインフラが急速に構築されたことによる情報化社会が確立されたことに
あります。
これまでの情報は社会的な権力者が保持し、コントロールして一般人へと都合よく発信され、
情報を受け取る一般人はあたかもその情報が正しく、現実に起きていることだという認識してきま
した。
しかし近年では、政治家や官僚、先生と呼ばれるような立場の方しか知らないようなことが
関係者からの内部告発され始め、もはや情報をコントロールすることが難しくなってきています。
特にこれまでの日本人は、「長いものに気持ちよく巻かれたい」という気質があったように
思います。
「国のことは御かみ(政治家達)がちゃんとやってくれてるだろう」と思っていたのか、思いたかった
のかはわかりませんが、ある意味で人任せのうまい国のようです。
しかし、最近の年金問題や原発事故、なし崩し的に聖域が無くなるTPP問題など、耳を疑う
ような事実を知らされ、不安というよりこれまで知らされていたことが間違っていたことに
ただただ驚くばかりで、この先どれぐらい驚かなくてはいけないのか、不安になってしまいます。
もう国や組織、団体などで物事の価値を図れる時代は終わり、個人として、感じ、考え、答えを
出し、責任の取れる行動へと自らを導いていくことが必要になるのだと思います。
ような統率力や抑制力、牽引力を発揮しずらくなってきました。
その要因の一つにITインフラが急速に構築されたことによる情報化社会が確立されたことに
あります。
これまでの情報は社会的な権力者が保持し、コントロールして一般人へと都合よく発信され、
情報を受け取る一般人はあたかもその情報が正しく、現実に起きていることだという認識してきま
した。
しかし近年では、政治家や官僚、先生と呼ばれるような立場の方しか知らないようなことが
関係者からの内部告発され始め、もはや情報をコントロールすることが難しくなってきています。
特にこれまでの日本人は、「長いものに気持ちよく巻かれたい」という気質があったように
思います。
「国のことは御かみ(政治家達)がちゃんとやってくれてるだろう」と思っていたのか、思いたかった
のかはわかりませんが、ある意味で人任せのうまい国のようです。
しかし、最近の年金問題や原発事故、なし崩し的に聖域が無くなるTPP問題など、耳を疑う
ような事実を知らされ、不安というよりこれまで知らされていたことが間違っていたことに
ただただ驚くばかりで、この先どれぐらい驚かなくてはいけないのか、不安になってしまいます。
もう国や組織、団体などで物事の価値を図れる時代は終わり、個人として、感じ、考え、答えを
出し、責任の取れる行動へと自らを導いていくことが必要になるのだと思います。
2013年11月9日土曜日
お任せの人生
私がよく利用する日本料理のお店は、料理に対して大将が深いこだわりを持っているので、
いつも旬のモノを仕入れ、毎回少し変わった調理、味付けで美味しく飽きの来ない料理を
提供してくれます。
だから、いつも席に通されると、「今日もお任せで」と言うことになります。
仕事でも同じことが言えるのが、庭を提案し施工する際、お客様との信頼関係が構築できると、
お客様から細かな注文されることなく、「もうお任せしていますので好きにやって下さい」という
言葉を頂きます。
素人がちょっとひらめいたぐらいのアイデアを押しつけ、プロの仕事を遣りずらくさせてしまうことを
考慮すれば、その分野の専門知識、経験を尊重し、任せておくのが得策なのでしょう。
人生においても「お任せ」が一番の得策だと言えます。
生命について一番とも言える存在は「神」です。
日本人であれば、天照大御神であったり、またはキリストやお釈迦様であったりと、
様々な神様がおられます。
自分自身、目の前のことに対して精一杯、取り組むことに専念すれば、その後のことは
自分の信じる神様へ「お任せ」しておけば、自然と良い方へと自分を活かしてくれるのだと
思います。
後は日々、神様への感謝を忘れずに。
いつも旬のモノを仕入れ、毎回少し変わった調理、味付けで美味しく飽きの来ない料理を
提供してくれます。
だから、いつも席に通されると、「今日もお任せで」と言うことになります。
仕事でも同じことが言えるのが、庭を提案し施工する際、お客様との信頼関係が構築できると、
お客様から細かな注文されることなく、「もうお任せしていますので好きにやって下さい」という
言葉を頂きます。
素人がちょっとひらめいたぐらいのアイデアを押しつけ、プロの仕事を遣りずらくさせてしまうことを
考慮すれば、その分野の専門知識、経験を尊重し、任せておくのが得策なのでしょう。
人生においても「お任せ」が一番の得策だと言えます。
生命について一番とも言える存在は「神」です。
日本人であれば、天照大御神であったり、またはキリストやお釈迦様であったりと、
様々な神様がおられます。
自分自身、目の前のことに対して精一杯、取り組むことに専念すれば、その後のことは
自分の信じる神様へ「お任せ」しておけば、自然と良い方へと自分を活かしてくれるのだと
思います。
後は日々、神様への感謝を忘れずに。
2013年11月8日金曜日
成功を引き寄せる
身体への栄養は日々の食事から摂ることができます。
脳への栄養は酸素だそうです。
脳の細胞は体全体の僅か2%ほどしかないにも関わらず、体が必要する酸素の約80%は
脳で消費されます。
ですので、呼吸を整えること、深い呼吸を意識するヨガや座禅、安定した睡眠は脳にとって、
とても良いこととされています。
では、心への栄養は何から摂るのか。
個人個人違うのでしょうが、私は困難を乗り越えた方の実体験を本で知ることです。
うまくいかないことが多い毎日で、心が弱っているときなど、何度となく励まされ、今一度
頑張ってみようと気持ちを改めるきっかけを頂きます。
何かを成し遂げるには先が見えず、不安になり、どうにも前に足が出ないときがあります。
しかし、そんな時こそ心に思い起こす言葉は「成功への可能性はいつも、五分五分である」と
いうこと。
どっち付かずの成功を自分の手元に引き寄せるやり方、方法は人それぞれ違うのでしょう。
だからこそ、自分自身の強みや個性を知り、日々長所を磨いていくことが重要であり、
決して成功へのマニュアルがどこかにあるのではなく、勝てる方法を開発していく過程に
価値があるのだと感じます。
脳への栄養は酸素だそうです。
脳の細胞は体全体の僅か2%ほどしかないにも関わらず、体が必要する酸素の約80%は
脳で消費されます。
ですので、呼吸を整えること、深い呼吸を意識するヨガや座禅、安定した睡眠は脳にとって、
とても良いこととされています。
では、心への栄養は何から摂るのか。
個人個人違うのでしょうが、私は困難を乗り越えた方の実体験を本で知ることです。
うまくいかないことが多い毎日で、心が弱っているときなど、何度となく励まされ、今一度
頑張ってみようと気持ちを改めるきっかけを頂きます。
何かを成し遂げるには先が見えず、不安になり、どうにも前に足が出ないときがあります。
しかし、そんな時こそ心に思い起こす言葉は「成功への可能性はいつも、五分五分である」と
いうこと。
どっち付かずの成功を自分の手元に引き寄せるやり方、方法は人それぞれ違うのでしょう。
だからこそ、自分自身の強みや個性を知り、日々長所を磨いていくことが重要であり、
決して成功へのマニュアルがどこかにあるのではなく、勝てる方法を開発していく過程に
価値があるのだと感じます。
2013年11月7日木曜日
神の宿る場所
人類は今日まで多くの偉業を達成してきました。
宇宙へも行けるようになったり、音速で空を移動したり、深海へと潜ったり、巨大な建築物を
立てたりと、人類の可能性は膨らむ一方です。
人類の文明がここまで飛躍してきたと肌身で実感させられるには、先ほどの一つひとつの偉業の
積み重ねがあってのことだと実感させられます。
しかし、人類の文明がこれほどまで飛躍しても、今なお、実現できないことがあります。
それは生命をゼロから生みだけないことです。
それは小さな昆虫一つ、微生物一つ、生み出すことができません。
ただ一つだけ、生命を生み出すことに近いのはお母さんの子宮の中だけです。
「老子」に説かれている「人の心に存在する良心」の正体は「内在する神」であるとされています。
この内在する神とは正に母であり、その先に存在する親であるとされています。
親への感謝の念は、そのまま神への畏敬への念に通じていきます。
核家庭は増える現在で、中々親の存在を深めることが難しい状況だと思いますが、
生命の源の尊さを再認識できるのが家の価値だと感じます。
宇宙へも行けるようになったり、音速で空を移動したり、深海へと潜ったり、巨大な建築物を
立てたりと、人類の可能性は膨らむ一方です。
人類の文明がここまで飛躍してきたと肌身で実感させられるには、先ほどの一つひとつの偉業の
積み重ねがあってのことだと実感させられます。
しかし、人類の文明がこれほどまで飛躍しても、今なお、実現できないことがあります。
それは生命をゼロから生みだけないことです。
それは小さな昆虫一つ、微生物一つ、生み出すことができません。
ただ一つだけ、生命を生み出すことに近いのはお母さんの子宮の中だけです。
「老子」に説かれている「人の心に存在する良心」の正体は「内在する神」であるとされています。
この内在する神とは正に母であり、その先に存在する親であるとされています。
親への感謝の念は、そのまま神への畏敬への念に通じていきます。
核家庭は増える現在で、中々親の存在を深めることが難しい状況だと思いますが、
生命の源の尊さを再認識できるのが家の価値だと感じます。
2013年11月6日水曜日
保持、比較に意味がないこと
中国古典の代表作であり、無為自然を尊ぶ『老子』の第二章に共感する方は多く、
老子の中でも有名な章でもあります。
【第二章:原文】
天下皆知美之爲美。斯惡已。皆知善之爲善。斯不善已。故有無相生、難易相成、長短相形、
高下相傾、音聲相和、前後相隨。是以聖人、處無爲之事、行不言之教。萬物作焉而不辭、
生而不有、爲而不恃、功成而弗居。夫唯弗居、是以不去。
【書き下し文】
天下みな美の美たるを知るも、これ悪のみ。みな善の善たるを知るも、これ不善(ふぜん)のみ。
故(まこと)に有と無相(あい)生じ、難と易相成り、長と短相形(あらわ)れ、高と下相傾き、音と声相
和し、前と後相随(したが)う。ここを以(も)って聖人は、無為の事に処(お)り、不言(ふげん)の教えを
行なう。万物ここに作(おこ)るも而(しか)も辞(ことば)せず、生じるも而も有とせず、為すも而も
恃(たの)まず、功成るも而も居(お)らず。夫(そ)れ唯(た)だ居らず、ここを以って去らず。
【現代語訳】
世の人々は皆美しいものを美しいと感じるが、これは醜い事なのだ。同様に善い事を善いと
思うが、これは善くない事なのだ。何故ならば有と無、難しいと易しい、長いと短い、高いと低い、
これらは全て相対的な概念で、音と声も互いに調和し、前と後もお互いがあってはじめて存在
できるからだ。
だから「道」を知った聖人は人為的にこれらを区別せず、言葉にできない教えを実行する。
この世の出来事をいちいち説明せず、何かを生み出しても自分の物とせず、何かを成しても
それに頼らず、成功してもそこに留まらない。そうやってこだわりを捨てるからこそ、それらが
離れる事は無いのだ。
19世紀〜20世紀の世界は互いを主張し合い、奪い合い、独占し合い、消費を拡大してきました。
その過程から国境が引かれ、産まれた植民地や支配下国など支配する側、される側をはっきり
してきましたが、支配することに限界を感じる事象が世界各地で起きている状態です。
21世紀には個々のあるがままを存在させながら、互いが心地良く活かされる関係性を見出して
いく調和の時代だと言われています。
老子のタオイズムには調和に必要な要素が数多く、説かれているよに思います。
老子の中でも有名な章でもあります。
【第二章:原文】
天下皆知美之爲美。斯惡已。皆知善之爲善。斯不善已。故有無相生、難易相成、長短相形、
高下相傾、音聲相和、前後相隨。是以聖人、處無爲之事、行不言之教。萬物作焉而不辭、
生而不有、爲而不恃、功成而弗居。夫唯弗居、是以不去。
【書き下し文】
天下みな美の美たるを知るも、これ悪のみ。みな善の善たるを知るも、これ不善(ふぜん)のみ。
故(まこと)に有と無相(あい)生じ、難と易相成り、長と短相形(あらわ)れ、高と下相傾き、音と声相
和し、前と後相随(したが)う。ここを以(も)って聖人は、無為の事に処(お)り、不言(ふげん)の教えを
行なう。万物ここに作(おこ)るも而(しか)も辞(ことば)せず、生じるも而も有とせず、為すも而も
恃(たの)まず、功成るも而も居(お)らず。夫(そ)れ唯(た)だ居らず、ここを以って去らず。
【現代語訳】
世の人々は皆美しいものを美しいと感じるが、これは醜い事なのだ。同様に善い事を善いと
思うが、これは善くない事なのだ。何故ならば有と無、難しいと易しい、長いと短い、高いと低い、
これらは全て相対的な概念で、音と声も互いに調和し、前と後もお互いがあってはじめて存在
できるからだ。
だから「道」を知った聖人は人為的にこれらを区別せず、言葉にできない教えを実行する。
この世の出来事をいちいち説明せず、何かを生み出しても自分の物とせず、何かを成しても
それに頼らず、成功してもそこに留まらない。そうやってこだわりを捨てるからこそ、それらが
離れる事は無いのだ。
19世紀〜20世紀の世界は互いを主張し合い、奪い合い、独占し合い、消費を拡大してきました。
その過程から国境が引かれ、産まれた植民地や支配下国など支配する側、される側をはっきり
してきましたが、支配することに限界を感じる事象が世界各地で起きている状態です。
21世紀には個々のあるがままを存在させながら、互いが心地良く活かされる関係性を見出して
いく調和の時代だと言われています。
老子のタオイズムには調和に必要な要素が数多く、説かれているよに思います。
2013年11月5日火曜日
育てられない時代
都市部で働くと、一日がとても早く感じます。
都会の人は歩くのが早いとよく言われますが、歩くことだけではなく、食べることも、
寝ることもゆっくりできない状況で、正に「生き急ぐ」という言葉が頭に浮かんできます。
これは会社組織も同じことで、同業者との企業競争に曝されながら、毎日、毎月、毎年の
売り上げに終始し、腰を据えてじっくり仕事に関わることができなかったり、仕事の奥深さを
楽しむという心持ちが持てない環境です。
そんな状況では、人を育てること、商品やサービスを育てることは難しい状況でしょう。
だからこそ、モノを売るための努力を省き、コストダウンすることを選ぶ企業が増えています。
コストダウンは更なるコストダウンを生んでいきます。
人件費を削る為に正社員をから契約社員へシフトし、モノ造りでも上質な材料から質を下げること
で仕入れ価格を下げ、最悪の場合、質を下げたモノを上質なモノのようにお客様へ伝え、
正規料金を得ようとする企業もでてきます。
育つこと、育てることができなければ、自ら力を付けることもできず、企業組織も個人も安易な選択
しか望まなくなり、技術的にも精神的にも弱っていくのは当然のことです。
都会の人は歩くのが早いとよく言われますが、歩くことだけではなく、食べることも、
寝ることもゆっくりできない状況で、正に「生き急ぐ」という言葉が頭に浮かんできます。
これは会社組織も同じことで、同業者との企業競争に曝されながら、毎日、毎月、毎年の
売り上げに終始し、腰を据えてじっくり仕事に関わることができなかったり、仕事の奥深さを
楽しむという心持ちが持てない環境です。
そんな状況では、人を育てること、商品やサービスを育てることは難しい状況でしょう。
だからこそ、モノを売るための努力を省き、コストダウンすることを選ぶ企業が増えています。
コストダウンは更なるコストダウンを生んでいきます。
人件費を削る為に正社員をから契約社員へシフトし、モノ造りでも上質な材料から質を下げること
で仕入れ価格を下げ、最悪の場合、質を下げたモノを上質なモノのようにお客様へ伝え、
正規料金を得ようとする企業もでてきます。
育つこと、育てることができなければ、自ら力を付けることもできず、企業組織も個人も安易な選択
しか望まなくなり、技術的にも精神的にも弱っていくのは当然のことです。
2013年11月4日月曜日
今だから学び直すこと
日本は江戸時代以降、西洋文明に憧れを抱き、追いつけ追い越せと和魂洋才の
精神で切磋琢磨してきました。
戦後の日本の復興から先進国へと目覚ましい成長を遂げるわけですが、現在では文明の利器へ
の欲求が優先される機会は多く、自然への配慮や文化の継承などがおざなりになるケースが
後を絶ちません。
そんな中、日本人としての品格を取り上げる著書も多く目にするようになり、ここ最近の傾向とし
て、論語などの四書五経や福沢諭吉の学問のすすめ、新渡戸稲造の武士道など、倫理感に
特化した古典から、根本的に生活や心の在り方を見つめ直すアプローチも増えてきている
ようです。
現代人にとって生きる上で重要なことで、わかっているようで、わかっていないまま、日々が
進んでしまっているように感じます。
最近の社会で起きる問題から改めて必要性を実感するのが、人間がどう生きるのかをといた
人間学、自然についての興味関心を深めること、日本郷土が培ってきた文化.
自分がどれほどの自然や先人達の恩恵を受けて、日々の生活が成り立っているのかを知ること
で、自分自身の存在を超えた恵みや価値に出会えることで、素直な気持ちで感謝する
心が養われてくるのだと思います。
精神で切磋琢磨してきました。
戦後の日本の復興から先進国へと目覚ましい成長を遂げるわけですが、現在では文明の利器へ
の欲求が優先される機会は多く、自然への配慮や文化の継承などがおざなりになるケースが
後を絶ちません。
そんな中、日本人としての品格を取り上げる著書も多く目にするようになり、ここ最近の傾向とし
て、論語などの四書五経や福沢諭吉の学問のすすめ、新渡戸稲造の武士道など、倫理感に
特化した古典から、根本的に生活や心の在り方を見つめ直すアプローチも増えてきている
ようです。
現代人にとって生きる上で重要なことで、わかっているようで、わかっていないまま、日々が
進んでしまっているように感じます。
最近の社会で起きる問題から改めて必要性を実感するのが、人間がどう生きるのかをといた
人間学、自然についての興味関心を深めること、日本郷土が培ってきた文化.
自分がどれほどの自然や先人達の恩恵を受けて、日々の生活が成り立っているのかを知ること
で、自分自身の存在を超えた恵みや価値に出会えることで、素直な気持ちで感謝する
心が養われてくるのだと思います。
2013年11月3日日曜日
文化の日
国民の祝日である「文化の日」は太平洋戦争終戦から1年後の1946年に、平和主義・国民
主権・基本的人権を宣言した新憲法に基づき、この日を記念日にしました。
現在でも文化の日には文化を称える行事として、皇居で文化勲章の授与式が行われます。
文化庁文化審議会に置かれる文化功労者選考分科会の意見を聞いて文部科学大臣が推薦
し、内閣府賞勲局で審査したうえ、閣議で決定されています。
また文化の日を中心に、文化庁主催による芸術祭が各地で開催されています。
文化の日の恒例行事として11月3日、皇居では文化勲章の授与式が行われます。
授与式では「国家又は公共に対し功労のある方、社会の各分野における優れた行いのある
方などを表彰するもの」として、勲章及び褒章があります。
文化は永遠であるべきとの意向で作られた常緑樹の橘を模した勲章と、褒章として終身年
金(350万円)が贈られます。
文化勲章の受賞を目指して頑張る事も、美術館・劇場に足を運んだり、実際に何か創作し
てみたりする事も、人生を豊かに過ごすための手段の一つかもしれませんね。
自由と平和を愛し、よりよい日本文化を形成していきたいものです。
因みに文化の日は「明治節」とも呼ばれ、年配の方々に親しまれてきました。
この「明治節」とは明治天皇の誕生日に当たり、明治天皇を懐かしむ日とされ、
天皇の誕生日に因んだ祝日としては初めて制定されました。
10月10日の体育の日や11月の文化の日を今年も変わりなく迎えられるというこは、
平和であることの明かしではないでしょうか。
2013年11月2日土曜日
朽ちる価値
先日、材木会社の代表の方とのやり取りの中で、気付かさせて頂きたことがありました。
よく庭などの屋外で使用する木材で、特に庭に設置するデッキを作る際、長く使う上で腐らない
木材を使用して欲しいと御客様からご要望を伺うことがあります。
そのようなときにご提案させて頂くが、水や土に直接触れていても腐ることのない、
アセチル化木材のアコヤ素材です。
食酢の成分でもある酢酸の一種「無水酢酸」を高温で木材と反応させ、木材組織の細胞壁内の
“水酸基”を“アセチル基”に置き換えるという化学修飾法によって、木材細胞壁の疎水性を飛躍的
に高め、腐朽菌の酵素分解能力が抑制され木材の耐腐朽性能が非常に高くなりまた、木材の
含水率の変動が減少し寸法安定性能が飛躍的に向上された木材です。
御客様と同じような質問を木材会社の代表へ伺った所、その方はこう言われました。
「自然界に存在する全てのモノは最後はちゃんと土に帰ってその役目を終える。
木も当然、同じことで、人間の都合で腐らないモノを作ること自体、自然界の摂理、循環から
逸脱している。」とのことでした。
その方の言われることにアコヤ素材とは木そのものの細胞を潰すことで、生きている木を
プラスチックのように変えてしまうのだそうです。
お話をお聞きして考えるのが、人も老いること、最後は土に帰ることを日々の生活の中で
忘れがちになってしまうこと。
無意識の内に、自分の生きている時間のモノサシだけでは大事なことをおざなりにしてしまう
のだということを実感させて頂きました。
よく庭などの屋外で使用する木材で、特に庭に設置するデッキを作る際、長く使う上で腐らない
木材を使用して欲しいと御客様からご要望を伺うことがあります。
そのようなときにご提案させて頂くが、水や土に直接触れていても腐ることのない、
アセチル化木材のアコヤ素材です。
食酢の成分でもある酢酸の一種「無水酢酸」を高温で木材と反応させ、木材組織の細胞壁内の
“水酸基”を“アセチル基”に置き換えるという化学修飾法によって、木材細胞壁の疎水性を飛躍的
に高め、腐朽菌の酵素分解能力が抑制され木材の耐腐朽性能が非常に高くなりまた、木材の
含水率の変動が減少し寸法安定性能が飛躍的に向上された木材です。
御客様と同じような質問を木材会社の代表へ伺った所、その方はこう言われました。
「自然界に存在する全てのモノは最後はちゃんと土に帰ってその役目を終える。
木も当然、同じことで、人間の都合で腐らないモノを作ること自体、自然界の摂理、循環から
逸脱している。」とのことでした。
その方の言われることにアコヤ素材とは木そのものの細胞を潰すことで、生きている木を
プラスチックのように変えてしまうのだそうです。
お話をお聞きして考えるのが、人も老いること、最後は土に帰ることを日々の生活の中で
忘れがちになってしまうこと。
無意識の内に、自分の生きている時間のモノサシだけでは大事なことをおざなりにしてしまう
のだということを実感させて頂きました。
2013年11月1日金曜日
コンセプチャル社会の本質
なぜ、コンセプチャル社会に移行していくのか?
特に日本は文化の根源において、海に囲まれた閉ざされた国であることもあり、
また農耕社会から来る「村社会」の思想が強く、常に集団という概念が根強くあるようです。
20世紀後半から村社会を基盤とした思想から権利や義務など「個」を主張する流れができ、
集団から個への意識的な移行が進むと、そこから多様性が生まれ、ライフスタイルや幸福論、
雇用形態に至る様々なことが堰を切ったように叫ばれ始めました。
核家族化や様々な格差を生み初めているのも象徴的な出来事だと思います。
これまでできなかった個を主張することができるようになったことで、得れることも多いのですが、
一度個になった価値観や思想をまとめることが容易ではなく、地域や組織、家族に至るまで、
個になったことで起きる弊害も多々起きています。
だからこそ、情報化の次の社会として個をまとめるのではなく、個そのものを活かしながら、
個々を調和させる「コンセプチャル社会」が必要とされるのだと感じます。
「コンセプトの時代」には、左脳主導の考え方を、6つの不可欠な「右脳主導の資質」を身につける
ことで補っていく必要がある。これから6つのハイ・コンセプトでハイ・タッチな感性を合わせれば、
新しい時代に求められる新しい全体思考をに培うのに役立つだろう。
『議論』より『物語』
誰でもすぐにタダで検索できる時代の「情報の価値」
「語りによるイメージつくり、すなわち物語は、思考の根本的な道具である」
『個別』よりも『全体の調和』
「コンセプトの時代』に成功したいのなら、一見バラバラで多様な秩序の間にある関連性を理解し
なければならない。明らかに無関係な要素を結びつけて、新しいものを作り出す方法を知っている
必要があるのだ。それは『境界を越られる人』『発明できる人』『比喩を作れる人」である。
『論理』ではなく『共感』
共感とは、相手の状況に自分を置き換えて考えられる能力であり、その人の気持ちを直感的に
感じ取れる能力である。
『まじめ』だけでなく『遊び心』
私たちはめったに1人で笑ったりはしない。それでも、他人がくすくすし始めると、こちらも思わず
笑ってしまうことがよくある。笑いは共感を伝えるための言葉によらないコミュニケーションの形であ
る。
『モノ』よりも『生きがい』
仕事においても、人生においても、『生きがい』が最も中心的な側面となったのである。確かに、
生きがいの追求は決して容易な仕事ではない。そのためのレシピが載った料理本はないし、袋の
中の粉と水を混ぜ合わせれば出来上がる、というものでもない。だが、個人、家族、あるいは企業
が意義を追求を始めるための、実用的かつ全体思考的な方法が2つある。それは、精神性をまじ
めに考えること、そして、幸福について真剣に考えることである。
特に日本は文化の根源において、海に囲まれた閉ざされた国であることもあり、
また農耕社会から来る「村社会」の思想が強く、常に集団という概念が根強くあるようです。
20世紀後半から村社会を基盤とした思想から権利や義務など「個」を主張する流れができ、
集団から個への意識的な移行が進むと、そこから多様性が生まれ、ライフスタイルや幸福論、
雇用形態に至る様々なことが堰を切ったように叫ばれ始めました。
核家族化や様々な格差を生み初めているのも象徴的な出来事だと思います。
これまでできなかった個を主張することができるようになったことで、得れることも多いのですが、
一度個になった価値観や思想をまとめることが容易ではなく、地域や組織、家族に至るまで、
個になったことで起きる弊害も多々起きています。
だからこそ、情報化の次の社会として個をまとめるのではなく、個そのものを活かしながら、
個々を調和させる「コンセプチャル社会」が必要とされるのだと感じます。
「コンセプトの時代」には、左脳主導の考え方を、6つの不可欠な「右脳主導の資質」を身につける
ことで補っていく必要がある。これから6つのハイ・コンセプトでハイ・タッチな感性を合わせれば、
新しい時代に求められる新しい全体思考をに培うのに役立つだろう。
『議論』より『物語』
誰でもすぐにタダで検索できる時代の「情報の価値」
「語りによるイメージつくり、すなわち物語は、思考の根本的な道具である」
『個別』よりも『全体の調和』
「コンセプトの時代』に成功したいのなら、一見バラバラで多様な秩序の間にある関連性を理解し
なければならない。明らかに無関係な要素を結びつけて、新しいものを作り出す方法を知っている
必要があるのだ。それは『境界を越られる人』『発明できる人』『比喩を作れる人」である。
『論理』ではなく『共感』
共感とは、相手の状況に自分を置き換えて考えられる能力であり、その人の気持ちを直感的に
感じ取れる能力である。
『まじめ』だけでなく『遊び心』
私たちはめったに1人で笑ったりはしない。それでも、他人がくすくすし始めると、こちらも思わず
笑ってしまうことがよくある。笑いは共感を伝えるための言葉によらないコミュニケーションの形であ
る。
『モノ』よりも『生きがい』
仕事においても、人生においても、『生きがい』が最も中心的な側面となったのである。確かに、
生きがいの追求は決して容易な仕事ではない。そのためのレシピが載った料理本はないし、袋の
中の粉と水を混ぜ合わせれば出来上がる、というものでもない。だが、個人、家族、あるいは企業
が意義を追求を始めるための、実用的かつ全体思考的な方法が2つある。それは、精神性をまじ
めに考えること、そして、幸福について真剣に考えることである。
2013年10月31日木曜日
目の前にあるコンセプチュアル社会
日本は戦後の復興以来、世界の中で先進国としての立場を築き上げ、成熟基にある
と言われています。
因みに先進国とはG20(ジートウェンティ)は、"Group of Twenty"の略ですが、計20か国・地域から
なるグループです。
構成国・地域は、アメリカ合衆国、イギリス、フランス、ドイツ、日本、イタリア、カナダ、欧州連合、
ロシア、中華人民共和国、インド、ブラジル、メキシコ、南アフリカ、オーストラリア、韓国、インドネ
シア、サウジアラビア、トルコ、アルゼンチンですが、各国の顔ぶれを見ても国内状況に格差があ
り、やはり主要国首脳会議(G8)が中心的な先進国としての認知を得ているのだと感じます。
先進国に至るまでの段階として第一段階として、農耕社会、第二に産業社会、第三に情報社会と
段階を経ていることがスタンダードのように見えますし、日本の現在も正に情報化社会真っただ中
にあるのだと実感しています。
成熟した先進国が次に迎える段階がコンセプチュアル社会だと説いているダニエル・ピンクは、
彼の著書「A Whole New Mind」の中で、コンセプチュアル社会(時代)とは、西欧社会が培ってき
た 「論理中心の社会(時代)」ではなく、社会文化的にが育んできた「感性社会」へとシフトしていく
のだと予見しています。
ではなぜ、米国(たぶん、日本を含む先進国)は、第3の波から第4の波へ移行しなければならない
のか?
ダニエル・ピンクは、その理由を先進国の経済状況を基に、以下の3つの要因で捉えています。
1.裕福さ 2.技術 3.グローバリゼーション
1.裕福さ:
先進国の人々は既に豊かな生活に必要な、例えば車や住宅などモノは手に入れており、
この現在の飽和市場では、際立つ商品が求められ、もはや機能や納得できる価格といったものだ
けに頼る時代ではなくなってくる。
それにプラス、人々の消費行動に強く影響する「美的で、ユニークで、意義あるもの」、つまり、
デザイン、エンパシー、プレイ、ビジョンなどの「ソフト(右脳)」な能力が必要とされる。
2.技術:
20世紀のの労働者による作業から、人間の左脳の代わりにコンピュータが取って代わったという
ことを意味する。また、コンピュータの進展は、決まりきったステップを取る職業に取って代わる可
能性をもつ。
3.グローバリゼーション
インターネットの環境が整い、同時に世界中にアウトソーシングできる環境も整ったため、世界中
の人、時間、可能性と繋がることができ、ものつくりにおいての制限が無くなった。
これから世界が向かえるであろうコンセプチャル社会の中でで力を発揮するできるかどうかが、
付加価値を創造していく上で重要なファクターになりそうです。
と言われています。
因みに先進国とはG20(ジートウェンティ)は、"Group of Twenty"の略ですが、計20か国・地域から
なるグループです。
構成国・地域は、アメリカ合衆国、イギリス、フランス、ドイツ、日本、イタリア、カナダ、欧州連合、
ロシア、中華人民共和国、インド、ブラジル、メキシコ、南アフリカ、オーストラリア、韓国、インドネ
シア、サウジアラビア、トルコ、アルゼンチンですが、各国の顔ぶれを見ても国内状況に格差があ
り、やはり主要国首脳会議(G8)が中心的な先進国としての認知を得ているのだと感じます。
先進国に至るまでの段階として第一段階として、農耕社会、第二に産業社会、第三に情報社会と
段階を経ていることがスタンダードのように見えますし、日本の現在も正に情報化社会真っただ中
にあるのだと実感しています。
成熟した先進国が次に迎える段階がコンセプチュアル社会だと説いているダニエル・ピンクは、
彼の著書「A Whole New Mind」の中で、コンセプチュアル社会(時代)とは、西欧社会が培ってき
た 「論理中心の社会(時代)」ではなく、社会文化的にが育んできた「感性社会」へとシフトしていく
のだと予見しています。
ではなぜ、米国(たぶん、日本を含む先進国)は、第3の波から第4の波へ移行しなければならない
のか?
ダニエル・ピンクは、その理由を先進国の経済状況を基に、以下の3つの要因で捉えています。
1.裕福さ 2.技術 3.グローバリゼーション
1.裕福さ:
先進国の人々は既に豊かな生活に必要な、例えば車や住宅などモノは手に入れており、
この現在の飽和市場では、際立つ商品が求められ、もはや機能や納得できる価格といったものだ
けに頼る時代ではなくなってくる。
それにプラス、人々の消費行動に強く影響する「美的で、ユニークで、意義あるもの」、つまり、
デザイン、エンパシー、プレイ、ビジョンなどの「ソフト(右脳)」な能力が必要とされる。
2.技術:
20世紀のの労働者による作業から、人間の左脳の代わりにコンピュータが取って代わったという
ことを意味する。また、コンピュータの進展は、決まりきったステップを取る職業に取って代わる可
能性をもつ。
3.グローバリゼーション
インターネットの環境が整い、同時に世界中にアウトソーシングできる環境も整ったため、世界中
の人、時間、可能性と繋がることができ、ものつくりにおいての制限が無くなった。
これから世界が向かえるであろうコンセプチャル社会の中でで力を発揮するできるかどうかが、
付加価値を創造していく上で重要なファクターになりそうです。
2013年10月30日水曜日
使命感の根源
人は生きられる時間に限りがあることは誰でも知っていても、日常の中で
そのことを意識し続けることは簡単ではないようです。
生きていることを実感するには、身近な人が亡くなったり、自身が大病や事故を実体験することで
死を身近に感じることでその機会を得るのだと思います。
人が成長していく過程で、10代はどうしても言われるがまま、様々なことに触れ、物事に対して
好き嫌いを積み重ねながら、自分という存在の輪郭を何となく、構築していくのでしょう。
20代になると、10代に触れてきたモノ以上に様々なモノや人と出会い、刺激を受けますが、
社会というものがどういうことなのかを社会の一員として、感じとりながら大人としての自覚に
目覚めていくのだと感じます。
30代になると劇的に変わってくるのが、好き嫌いがはっきり持つようになったころから、
自分の好きなことを求めることに限りがなく、人生には時間の制限があることがわかって
きます。
だからこそ自分の「やりたいこと」ではなく、「やらなければならないこと」に集中し、最優先する
ことが必要となり、自分の人生の意味や役割を帯び、生きがいとして価値を見出していくのだと
思います。
生きているうちに、何らかの結果を世に示そうとするであれば、この30代のうちに「やりたいこと」
ではなく、「やらなければならない」ということにシフトしていくことが重要な視点になるのだと
思います。
そのことを意識し続けることは簡単ではないようです。
生きていることを実感するには、身近な人が亡くなったり、自身が大病や事故を実体験することで
死を身近に感じることでその機会を得るのだと思います。
人が成長していく過程で、10代はどうしても言われるがまま、様々なことに触れ、物事に対して
好き嫌いを積み重ねながら、自分という存在の輪郭を何となく、構築していくのでしょう。
20代になると、10代に触れてきたモノ以上に様々なモノや人と出会い、刺激を受けますが、
社会というものがどういうことなのかを社会の一員として、感じとりながら大人としての自覚に
目覚めていくのだと感じます。
30代になると劇的に変わってくるのが、好き嫌いがはっきり持つようになったころから、
自分の好きなことを求めることに限りがなく、人生には時間の制限があることがわかって
きます。
だからこそ自分の「やりたいこと」ではなく、「やらなければならないこと」に集中し、最優先する
ことが必要となり、自分の人生の意味や役割を帯び、生きがいとして価値を見出していくのだと
思います。
生きているうちに、何らかの結果を世に示そうとするであれば、この30代のうちに「やりたいこと」
ではなく、「やらなければならない」ということにシフトしていくことが重要な視点になるのだと
思います。
2013年10月29日火曜日
業(なりわい)
ここ最近の職場環境は様変わりしてきました。
どの辺りから変わってきたのかと振り返ると、製造現場を海外にシフトし始めたころ
からではないでしょうか。
それまではどの会社も現場を持ち、良いモノを作りたいと熱心に御客様と向き合いながら
価値を見出していたように思います。
それが製造現場は途上国へ移し、人の手を要する作業はオートメーション化が進み、
御客様との距離は離れ、何だか味気ない気までしてきます。
雇用も20年前は派遣社員という人は存在せず皆、正社員で働いていました。
正社員でいられればそれで満足しなければという風潮まで生まれていて、
サラリーマン川柳に「残業代、貰えば年収1000万」という作品が入選するほど、夢や希望という
思いからはほど遠い現実を垣間見てしまいます。
そうは言っても日本の企業の約90%が中小企業であり、現場を持っています。
何としても魅力ある現場を作ることが社員一人ひとりの働きがいや使命感、責任感を
高めることになるのでしょう。
仕事について、そもそもの話からすれば、人が生きていく上で食べ物を作る云わいる「農耕」は
必要不可欠です。
自分や家族が食べる分の作物を作るこの「農耕」に「業(なりわい)」が付くと、何だかおかしなこと
になってきます。
「業(なりわい)」とは生計を立てるために必要なことです。
だから業(なりわい)が優先されてしまうと、自分自身の生活に必要な量をなるべく効率よく、
なるべく簡単に獲れるにはどうすればよいかと考える人が増えてきます。
よく聞く話にお米の生産者が売るお米は農薬を使って育て、自分たちが食べるお米は
別区画で無農薬で丁寧に作っていると聞きます。
業(なりわい)が勝るとそのようなことも当たり前のようにできてしまうのでしょう。
どの辺りから変わってきたのかと振り返ると、製造現場を海外にシフトし始めたころ
からではないでしょうか。
それまではどの会社も現場を持ち、良いモノを作りたいと熱心に御客様と向き合いながら
価値を見出していたように思います。
それが製造現場は途上国へ移し、人の手を要する作業はオートメーション化が進み、
御客様との距離は離れ、何だか味気ない気までしてきます。
雇用も20年前は派遣社員という人は存在せず皆、正社員で働いていました。
正社員でいられればそれで満足しなければという風潮まで生まれていて、
サラリーマン川柳に「残業代、貰えば年収1000万」という作品が入選するほど、夢や希望という
思いからはほど遠い現実を垣間見てしまいます。
そうは言っても日本の企業の約90%が中小企業であり、現場を持っています。
何としても魅力ある現場を作ることが社員一人ひとりの働きがいや使命感、責任感を
高めることになるのでしょう。
仕事について、そもそもの話からすれば、人が生きていく上で食べ物を作る云わいる「農耕」は
必要不可欠です。
自分や家族が食べる分の作物を作るこの「農耕」に「業(なりわい)」が付くと、何だかおかしなこと
になってきます。
「業(なりわい)」とは生計を立てるために必要なことです。
だから業(なりわい)が優先されてしまうと、自分自身の生活に必要な量をなるべく効率よく、
なるべく簡単に獲れるにはどうすればよいかと考える人が増えてきます。
よく聞く話にお米の生産者が売るお米は農薬を使って育て、自分たちが食べるお米は
別区画で無農薬で丁寧に作っていると聞きます。
業(なりわい)が勝るとそのようなことも当たり前のようにできてしまうのでしょう。
2013年10月28日月曜日
コンセプトメイク
クライアントに対して、デザインするという作業は形の無いものを実際に目で見えるように、
図面に起こしたり、色を付けたり、時には近いイメージの別モノの写真を用いたりします。
クライアントは自らできないからこそ、専門知識のある者へ制作を依頼することが多いのでしょうか
ら、判らないことが多いことが普通でしょう。
だからこそ、必要な要望として色や形、大きさや用途、他の要望との優先順位、マスト条件など
を明確にできている方が少ないのも当然のことです。
デザインを作る側の専門者にとって、デザインの裏付けである要素はクライアントとの
ヒアリングが全てになります。
クライアントは専門知識がない中、何とかイメージを伝えようと会話の中で色々と話してくれます
が、曖昧なニュアンスをくみ取り、質問や具体例を挙げながら、クライアントと協同作業で
明確していきます。
この作業、過程がクライアントにとっての根源的な真実を見つけさせることだと考えます。
クライアントの中にある潜在的なイメージをヒアリングの中で顕在的にし、その一つひとつを
集約し、明確な定義を持たせることで、デザインを構成する上で、揺るがない
前提となるコンセプトメイクになるのだと思います。
図面に起こしたり、色を付けたり、時には近いイメージの別モノの写真を用いたりします。
クライアントは自らできないからこそ、専門知識のある者へ制作を依頼することが多いのでしょうか
ら、判らないことが多いことが普通でしょう。
だからこそ、必要な要望として色や形、大きさや用途、他の要望との優先順位、マスト条件など
を明確にできている方が少ないのも当然のことです。
デザインを作る側の専門者にとって、デザインの裏付けである要素はクライアントとの
ヒアリングが全てになります。
クライアントは専門知識がない中、何とかイメージを伝えようと会話の中で色々と話してくれます
が、曖昧なニュアンスをくみ取り、質問や具体例を挙げながら、クライアントと協同作業で
明確していきます。
この作業、過程がクライアントにとっての根源的な真実を見つけさせることだと考えます。
クライアントの中にある潜在的なイメージをヒアリングの中で顕在的にし、その一つひとつを
集約し、明確な定義を持たせることで、デザインを構成する上で、揺るがない
前提となるコンセプトメイクになるのだと思います。
2013年10月27日日曜日
革新的なデザインとは・・・。
常に業界をリードしている側には常に革新的なデザインを世に提供し続けています。
では革新的とは何を言っているのか?何を指しているのか?どのような定義なのか?
革新のモノサシしは絶対的に過去との評価であることが大前提にあるのでしょう。
少なくともその分野、その業界内において、新しいものでなければならないということ。
しかし、単に新しいだけでは十分ではなく、従来の何かの問題を新しい手法で解決へ
導いているという要素がデザインの構成として用いられていることが必要であり、その要素が
エンドユーザーやクライアントにとって付加価値( EVA: Extra value)としての評価であることが
条件になってくるのだと思います。
決して今までにないモノが=革新とは言えないのだと思います。
革新とは従来の仕組みや価値観、もの考え方などを一新する、壊してしまうぐらいの
意味を含んできます。
革新的なデザインには主体的に変化を生み出していくものであり、そのために必要なリスクは
進んで受け入れていかなければなりません。
だからこそ、革新的なデザインはその分野やその業界を押上げ、推し進めていくエネルギーを
秘めているのだと感じます。
では革新的とは何を言っているのか?何を指しているのか?どのような定義なのか?
革新のモノサシしは絶対的に過去との評価であることが大前提にあるのでしょう。
少なくともその分野、その業界内において、新しいものでなければならないということ。
しかし、単に新しいだけでは十分ではなく、従来の何かの問題を新しい手法で解決へ
導いているという要素がデザインの構成として用いられていることが必要であり、その要素が
エンドユーザーやクライアントにとって付加価値( EVA: Extra value)としての評価であることが
条件になってくるのだと思います。
決して今までにないモノが=革新とは言えないのだと思います。
革新とは従来の仕組みや価値観、もの考え方などを一新する、壊してしまうぐらいの
意味を含んできます。
革新的なデザインには主体的に変化を生み出していくものであり、そのために必要なリスクは
進んで受け入れていかなければなりません。
だからこそ、革新的なデザインはその分野やその業界を押上げ、推し進めていくエネルギーを
秘めているのだと感じます。
2013年10月26日土曜日
やっておけばよかった
今朝、手にした本の中で、掃除道でも有名なイエローハットの創業者、鍵山氏の教えに
出会いました。
人生を分ける2文字の差として、「やっておいてよかった」と「やっておけばよかった」とありました。
結果をコントロールできるようになるまでには、相当な修練や月日を必要とするのでしょう。
だからこそ日々、自身のベストを尽くすとがテーマとなるのだと思います。
だとすれば、思いつくことは全て取り組める状況が大切なことで、「やっておいてよかった」と
思えることが多々起きるのだと思います。
その反対に「やっておけばよかった」という状況は、思ってはいたもの忙しかったり、
大した問題ではない、どうにかなると自分勝手に都合よく認識していたことが招く
事態でしょう。
自分自身、思いもしない事態が起きてしまった時には「やっておけばよかった」という
後悔には繋がらないはずです。
「やっておけばよかった」という言葉の裏には不健康などの生活の乱れや私生活の
堕落から来る精神性の弱体も仕事をする上で妥協へと繋がり、ベストを尽くす環境を
作りづらくなります。
仕事の正直な所でもあり、怖い所でもあるのが、手を抜いた所が後々トラブルに結びついて
くることです。
日々、変わりない姿勢で臨んでいきたいものです。
出会いました。
人生を分ける2文字の差として、「やっておいてよかった」と「やっておけばよかった」とありました。
結果をコントロールできるようになるまでには、相当な修練や月日を必要とするのでしょう。
だからこそ日々、自身のベストを尽くすとがテーマとなるのだと思います。
だとすれば、思いつくことは全て取り組める状況が大切なことで、「やっておいてよかった」と
思えることが多々起きるのだと思います。
その反対に「やっておけばよかった」という状況は、思ってはいたもの忙しかったり、
大した問題ではない、どうにかなると自分勝手に都合よく認識していたことが招く
事態でしょう。
自分自身、思いもしない事態が起きてしまった時には「やっておけばよかった」という
後悔には繋がらないはずです。
「やっておけばよかった」という言葉の裏には不健康などの生活の乱れや私生活の
堕落から来る精神性の弱体も仕事をする上で妥協へと繋がり、ベストを尽くす環境を
作りづらくなります。
仕事の正直な所でもあり、怖い所でもあるのが、手を抜いた所が後々トラブルに結びついて
くることです。
日々、変わりない姿勢で臨んでいきたいものです。
2013年10月25日金曜日
デザインとは・・・。
街にはデザインされたモノが溢れています。
よくある状況として、デザインするためのデザインになってしまうことがあります。
仕事上、デザインを考える機会が多いのですが、このデザインを思考したり、他者と議論
し、価値を共有することが難しく感じることが多くあります。
デザインの評価は10人が見れば10人とも違うとも言われるほど、デザインの何が良い
デザインとは何か?アートとデザインは違うのか?考えれば考えるほど、疑問が消えませ
ん。
デザインの語源はデッサン(dessin)と同じく、“計画を記号に表す”という意味のラテン語
designareだそうです。
つまりデザインとは、ある問題を解決するために思考・概念の組み立てを行い、それを
様々な媒体に応じて表現することと解される。
日本では図案・意匠などと訳されて、単に表面を飾り立てることによって美しくみせる行
為と解されるような社会的風潮も強いようですが、最近では語源の意味が広く理解・認識
されているようです。
形態に現れないものを対象にその計画、行動指針を探ることも含まれ、就職に関するキャ
リアデザイン、生活デザイン等がこれにあたります。
モノづくりをする上で「何かデザインしなければならい」とか、「付加価値や差別化を
つけなければならない」という理由が先に立ち、デザインしてしまうと
ドイツのインダストリアルデザイナー、ディーターラムス氏(Dieter Rams)の
「よいデザインのための10の原則」にこうありました。
1.よいデザインは革新的である。
2.よいデザインは製品を便利にする。
3.よいデザインは美にかなう。
4.よいデザインは製品の理解を助ける。
5.よいデザインは主張しない。
6.よいデザインは誠実である。
7.よいデザインは耐久性を持つ。
8.よいデザインは細部まで一貫している。
9.よいデザインは環境に配慮する。
10.よいデザインは可能なかぎりわずかなデザインである。
何となくわかるような気がしてきました。
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