なぜ、コンセプチャル社会に移行していくのか?
特に日本は文化の根源において、海に囲まれた閉ざされた国であることもあり、
また農耕社会から来る「村社会」の思想が強く、常に集団という概念が根強くあるようです。
20世紀後半から村社会を基盤とした思想から権利や義務など「個」を主張する流れができ、
集団から個への意識的な移行が進むと、そこから多様性が生まれ、ライフスタイルや幸福論、
雇用形態に至る様々なことが堰を切ったように叫ばれ始めました。
核家族化や様々な格差を生み初めているのも象徴的な出来事だと思います。
これまでできなかった個を主張することができるようになったことで、得れることも多いのですが、
一度個になった価値観や思想をまとめることが容易ではなく、地域や組織、家族に至るまで、
個になったことで起きる弊害も多々起きています。
だからこそ、情報化の次の社会として個をまとめるのではなく、個そのものを活かしながら、
個々を調和させる「コンセプチャル社会」が必要とされるのだと感じます。
「コンセプトの時代」には、左脳主導の考え方を、6つの不可欠な「右脳主導の資質」を身につける
ことで補っていく必要がある。これから6つのハイ・コンセプトでハイ・タッチな感性を合わせれば、
新しい時代に求められる新しい全体思考をに培うのに役立つだろう。
『議論』より『物語』
誰でもすぐにタダで検索できる時代の「情報の価値」
「語りによるイメージつくり、すなわち物語は、思考の根本的な道具である」
『個別』よりも『全体の調和』
「コンセプトの時代』に成功したいのなら、一見バラバラで多様な秩序の間にある関連性を理解し
なければならない。明らかに無関係な要素を結びつけて、新しいものを作り出す方法を知っている
必要があるのだ。それは『境界を越られる人』『発明できる人』『比喩を作れる人」である。
『論理』ではなく『共感』
共感とは、相手の状況に自分を置き換えて考えられる能力であり、その人の気持ちを直感的に
感じ取れる能力である。
『まじめ』だけでなく『遊び心』
私たちはめったに1人で笑ったりはしない。それでも、他人がくすくすし始めると、こちらも思わず
笑ってしまうことがよくある。笑いは共感を伝えるための言葉によらないコミュニケーションの形であ
る。
『モノ』よりも『生きがい』
仕事においても、人生においても、『生きがい』が最も中心的な側面となったのである。確かに、
生きがいの追求は決して容易な仕事ではない。そのためのレシピが載った料理本はないし、袋の
中の粉と水を混ぜ合わせれば出来上がる、というものでもない。だが、個人、家族、あるいは企業
が意義を追求を始めるための、実用的かつ全体思考的な方法が2つある。それは、精神性をまじ
めに考えること、そして、幸福について真剣に考えることである。
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