【 企業理念 】

     「真の価値」 を伝える。

      それによって磨かれる

     家族、地域、子どもたち の感性


2013年11月30日土曜日

友情を越えた繋がり

お菓子と言えば「グリコ」と思われる方も少なくないのではないでしょうか。


日本を代表するお菓子メーカーである「江崎グリコ」は1919年(大正8年)、創業者である江崎利一


がカキの煮汁からグリコーゲンを採取し、それをキャラメルの中に入れた栄養菓子「グリコ」を


製作。1922年(大正11年)2月11日に大阪の三越百貨店で「グリコ」の発売を開始したのが始まりで


した。


その後も江崎利一氏は「子供の二大楽しみ、食べることと遊ぶことを同時に満たす」の考えにより、


お菓子におまけを同梱したことでグリコのお菓子は大ヒット商品となりました。


今こそ世界のグリコとしてお菓子から、カップ麺、健康食品などなど食に関する様々な分野で


ヒット商品を生み出していますが、苦悩の時代がありました。


創設者の江崎利一氏は会社の後を任せようと思っていた長男が戦後まもなく他界していました。


孫もまだ幼かったため当時は専務に経営を勉強させていましたが、今後の大きな不安要素でし

た。

そのとき、江崎グリコを支えてくれたのが、同じ大阪で商売をしていた松下幸之助氏でした。


江崎氏と松下氏は古くから共に裸一貫で会社を立ち上げてきたこともあり、「文無し会」と呼び合


い、定期的に交流を積み上げてきた仲でした。


江崎利一氏が他界した後も、大学を出たばかりの孫を松下で3年ほど、経営者として教育し、


江崎グリコを背負える人物へと育てました。


江崎グリコの株が初上場されると、松下氏はまっさきに購入し、重役という立場で江崎グリコを長ら


く支えたことも有名です。


江崎氏と松下氏の関係は親友という関係を越えた心の友だったとでしょう。

2013年11月29日金曜日

求められる弟子力

芸能の世界で言えば、歌舞伎や落語、職人の世界や宮大工や鍛冶職など、時間を掛けて受け継


がれてきた思想や技術を伝承していきます。


今では師匠とか、師弟関係など死後に成りつつありますが、最近改めてその関係性が見直されつ


つあります。


一般的な印象として師匠の力が問われるように思われがちですが、実は弟子の力が最も重要な


要素となるようです。


師匠に力があるのは後継者を育てる上で当たり前のことですが、師匠を信じて学びきれるかどうか


が重要で正に弟子力になります。


師匠と呼ばれ、お弟子さんを持つ方は、仕事への取り組む姿勢や技術力は確固たるモノがあるの


ですが、一人の大人として見たとき、一般人よりこだわって生きていう分、アンバラアンスな方が


多いのも特徴です。


仕事の面も私生活の面も師匠と呼べる完璧な人は少ないのが現状でしょう。


そういったある種の矛盾を受け入れ、切り分けながら、師匠の尊敬に値する部分を見続け、学び


続け、信じ続ける力が弟子力になります。


何も弟子として師匠に気を使うことができるとか、覚えが早いことだけが、弟子として評価される


力ですが、これを平たく言葉で表現すると、「最近の若い者は忍耐や根性がない」などと表現され


てしまうので、かえってわかりずらくさせているのではないでしょうか。


2013年11月28日木曜日

下地へのこだわり

フィンセント・ゴッホはオランダ出身でポスト印象派(後期印象派)の画家ですが、代表作として


「ひまわり」や、1890年5月、精神病院を退院してパリ近郊のオーヴェル=シュル=オワーズに移り


画作を続けたが(オーヴェル時代)、7月27日、自ら銃を撃ち自殺し、生涯を終えたことはあまりにも


有名でしょう。


ゴッホがこだわったのが名作「ひまわり」などで大胆にに表現されている黄色でしょう。


ゴッホは弟テオに18年間に652通も手紙を送っています。


その内容は生活費や黄色の絵の具を送ってほしいというものだったそうです。

黄色は太陽の色であり、幸福や生命の光を感じさせ、色彩心理学的にも「希望」や「欲求」を


表わしているそうで、まさに当時の苦悩や強烈な不安や孤独感を抱いていたゴッホが必要な


ものだったものなのかもしれません。


こだわり続けた黄色には実は下地が隠されています。


それはより鮮明でより深みがある色に見せるために、下地に黄色の保護色であり紫を塗り、


その上から黄色を使用しています。


当時の印象はの画家の中でも、この技法を生み出さしたのはゴッホだけで、印象派は昼の太陽か


らの木漏れ日を繊細に表現した作品が多く、夜景など夜の風景には不向きだとされていましたが、


ゴッホだけは紫の保護色を使った深みのある黄色を使うことができるため、夜景を題材にした作品


も多く残しています。


ゴッホが好きな人は「夜のカフテリア」という作品を代表作として好まれている方が多いようです。


黄色にこだわるからこそ、黄色ではなく、紫にこだわるなど、中々簡単には行き着きません。


ゴッホの苦悩やストイックさが伺える事例だとお思います。


2013年11月27日水曜日

物語っている価値

人から自分の人生を一から説明して下さいと言われても、何時間あっても話しきれないのは

誰しも同じでしょう。


講演依頼とまで言わなくても、よく研修の場やちょっとしたセミナー講師を頼まれた際、講義の冒頭


に私のこれまで人生を簡単にお話下さいと言われるにはいつも困ってしまいます。


もう何年も続けている趣味も、多くの時間を費やし、経験を積み重ねてくると、初期のころに比べ、


そのモノの魅力の奥深さや自分自身の趣味との向き合い方もより一層、マニアックになっている


だと思います。


表面的な価値は誰でもわかりますが、目で見るだけでは伝わらない一層も二層も深みの増した


魅力を伝えようと思うと、物事を遡り、順を追って説明しなければなりません。


この時の説明がどうしても長くなってしまうため、物語調で説明することが他者には分かりやすい


のでしょう。


「良い品物には物語が見える」とよく言われますが、時間の風雪に耐え、現在に受け継がれている


モノにはその存在自体が何かの付加価値を物語ってきます。


日々の生活も仕事も、物語ってくるような意味深いものにしていきたいですね。


2013年11月26日火曜日

成し得ること

中国の春秋時代の思想家老子が書いたと伝えられる「老子道徳教」の第7章に、

天は長く地は久(ひさ)し。天地の能(よ)く長く且(か)つ久しき所以(ゆえん)の者は、その自(みずか)

ら生(しょう)ぜざるをもって、故(ゆえ)に能く長生(ちょうせい)す。

ここをもって聖人は、その身(み)を後にして而(しか)も身は先(さき)んじ、その身を外にして而も

身は存(そん)す。

その無私なるをもってに非(あら)ずや。故に能くその私(わたくし)を成す。

とあります。


(要訳)
天は永遠であり、地は久遠である。天地がその様に永久であるのは、自ら永久であろうとする

意志が無いからだ。だから「道」を知った聖人はわが身を後回しにしながら周囲に推されてその

身は人の前に立ち、わが身を人の外側に置きながら周囲に推されてその身は人の中心にある。

これはその人が無私無欲であるからではないだろうか。無私無欲であるからこそ、自分をつらぬい

ていけるのだ。


この第7章は老子が「かんながら」の極意について触れられている貴重な章です。

大木は大木自らが望んで長い樹齢を手にした訳ではなく、大河も大河自身が望んで大きくなった

訳ではない。

自然の中で求められ、与えられ、今の形へと行き着いたまでのことだと考えると、人間は自分が

何らかの成功を収めたいという想い=自我より、周囲の人の役に立つことに専念することで、


自分自身にあった成功の姿へと他者が導いてくれる。

それが「成り得る」という本来の姿ではないかと老子は伝えているように思います。

2013年11月25日月曜日

勤労感謝の日

11月23日は「勤労感謝の日」であり、国民の祝日として1948年(昭和23年)に公布・施行された


同法により制定されました。


国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)第2条によれば、「勤労をたつ


とび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」ことを趣旨としていますが、実は本当の意味とは


異なります。


農業国家である日本は、古くから神々に五穀の収穫を祝う風習がありました。


その年の収穫物は国家としてもそれからの一年を養う大切な蓄えとなることから、収穫物に感謝す


る大事な行事として飛鳥時代の皇極天皇の時代に始まった新嘗祭(にいなめさい、しんじょうさい)


の日が第二次世界大戦後のGHQの占領政策によって天皇行事・国事行為から切り離される形で


改められたものが現在の「勤労感謝の日」になります。


ですから、「勤労」の意味とは「肉体的な労働によって物品等を生産するということにのみ終始する


ものではありません。


精神的な方面においても一日一日を真剣に考え、物事の本質へと深めてゆく研究態度にも勤労の


大きい意味は存在し、創造し、生産していくことの貴重な意義ある生活が営まれていくことが出来


る。


物質的にも、精神的にも広い意味での文化財を建設してゆくことは、生産ということの正しい理解


の仕方である」と戦後発行された衆議院文化委員受田新吉著の「日本の新しい祝日」には記載さ


れています。


自然に寄り添い、自然に感謝の念を忘れない日本人らしい文化が戦後、断ち切られていることが


この「勤労感謝の日」からも知り得ることができるのだと感じます。


2013年11月24日日曜日

大物食いできる人

最近のサッカー日本代表は常にアジアNo.1の座を保ち、世界強豪国へ割って入ろうとしていま

す。


その要因にあるものは、プレイヤーの強い自己マインドであることがよくわかります。


特にチームを牽引している本多選手から印象深い言葉をきくことができますが、先日16日の


オランダ戦を前に「あぐらをかいたオランダに一泡噴かせてやる。きっと90分間、安心して


サッカーができなくなるだろう」と言っています。


20日にアウェーで戦った世界ランク5位のベルギー戦の前にも、「ベルギーは今でこそ、世界的に


評価の高い国だが、オランダと違ってサッカーの歴史がない。臆することは何もない。」と言い切っ


ていました。


結果、オランダは負けに等しいドロー、ベルギーには内容も申し分ない勝利を納めています。

 

今朝の新聞紙面でも12月6日(現地時間)にあるW杯抽選会に対して、死のグループになったら


との質問に、本多選手のコメントして、「死のグループ大歓迎。そんなときこそ、大物食いできるチャ


ンス」と言っています。


どんな状況下に置かれても、自分の望む結果を得ようとすれば、まずは向き合うものと臆してい


ては前向きな意識は働かないでしょう。


だからこそ、自分が不安や恐怖から自由になれる要素を見つけ、可能性を見出し、優位性を


高めていくことができます。


良い結果を導く人の共通した思考だと思います。

2013年11月23日土曜日

シャガールの魅力

先日、広島県立美術館で開催している、シャガール展へ足を運びました。


私が絵画に興味を持つきっかけになった画家ですので、何かご縁があるように思ってなりません。


以前も東京などで、大規模なシャガール展は何回か行われていましたが、今回の企画の特徴は


絵画に留まらず、壁画や彫刻などの造作物などが、どのような工程を経て、作られたのかという



視点で、下絵や参考物のデッサン、色の配色スケッチなど、これまでの展示会では触れることの


ないモノが多くあり、深みのある企画展となっていました。


特に充実していた展示として、フランスのオペラ座の天井壁画のコンセプトを固める為のメモや


下絵やデッサン、色つけなど細かなディテールを試行錯誤している彼の様子が感じられる


モノが多く展示していました。


作品として完成するまでの間の工程を見てみると、いくつもの工程の中で少しづつ形付けられて、


まるで作品に生命を吹き込んでいくようでした。


一つひとつの作品に厚みや深さがあり、ケーキのミルフィーユのように何層も積み上げられている


ようです。


シャガールの魅力はなんといっても、何にも臆することなく、自身の想いをありのまま、表現されて


いて、また突き抜けていて、その造作過程の苦しみや悲しみ、葛藤や喜びなど、人が持つ光と影が


伝わってきます。


シャガールの作品を観ると、彼の底なしの創造性にはいつも驚かされ、自分の中にある現実社会


に合わせようとする


偽った気持ちがあることに気づかされます。

2013年11月22日金曜日

縮景園

縮景園は1619(元和5)年に福島正則転封(ふくしままさのりてんぽう)のあと紀伊(きい)から入部した藩主浅野長(はんしゅあさのなが)(あきら)が、

その翌年(よくねん)別邸(べってい)として築造(ちくぞう)したもので、泉水(せんすい)泉邸(いずみてい)の名で広島の人々によく知られています。

庭園は二葉山と己斐山(こいやま)を借景とし、中央に濯纓池(たくえいち)をおき、山・(かわ)(たき)・橋・島・奇岩(きがん)

花鳥・建物などを(たく)みに配した廻遊式庭園(かいゆうしきていえん)です。


回遊式庭園というと聞き慣れないですが、庭を歩き回ることで楽しめるように、設計されている


様式のことを指します。



日本の三大庭園は水戸の偕楽園、金沢の兼六園、岡山の後楽園と言われていますが、


三園とも以前、足を運んでいますが、縮景園は書いて字のごとく、コンパクトにまとめられた


日本庭園です。


1620年、広島藩主となった浅野長晟が茶人であった家老の上田宗箇に作庭を命じ作られたことも


あって茶室もあり、年間を通して茶会が開かれています。


中国の湖畔をモデルにして作られた濯纓池の水源は隣に流れる京橋川から引いていますが、


河口近くであるため、水質は弱塩水で、池には鯉と鯔が共存しています。


広島の歴史を考えると、常に原爆被爆前後に分けられます。


縮景園も被爆直後は市民の避難所としても使われましたが、縮景園にたどり着いた多くの被爆者


が息絶え、縮景園に土葬された経緯もあって、園内に慰霊碑も設置されています。


春には梅林が満開になるそうなので、その時にはまた足を運びたいと思います。
 

 
 
 
 

2013年11月20日水曜日

理想を持つ大切さ

毎日を充実した日にしたいと思うことは皆、誰しも思うことでしょう。


一日24時間、皆に平等に時間を与えられ、その中で何を考え、何を実践してきたかで


自分の価値や立場、存在感などが明確に他者との差となり、出てきますし、


何より自分の人生を楽しみ、豊かさや幸福感を実感できているかどうかが生き甲斐を得れる


かどうか、大切なことだと思います。


日々を充実させている人の特徴として共通していることは、自分らしい、自分の理想の成功の


姿を強くイメージし、育てることができます。


例えば、気持ちが弱ってしまったとき、理想に近い人の著書を読んだり、掃除をすることで


心を整えたりなどなど。


自分の成功イメージが弱ってしまう傾向と対策ををしっかりと構築し、持続可能な良い習慣を


生み出しています。


人は日々の生活の中で、自分をストイックに管理し、能力を高めることに限界が無ければ、


堕落し続づけ、楽を求めることにも限界がありません。


目線を高い位置に置き続けるには、自分の理想を強くイメージし続けるための工夫と


理想に確実に近づいていると実感できる身近な目標や課題をクリアしていく習慣が大切なの


だと実感します。

2013年11月19日火曜日

経済の在り方

毎日のように景気動向や経済対策が新聞紙面を賑わせていますが、経済社会で生きる


現代人にとっては消費税増税やTPP交渉など色々と心配の種は尽きません。


景気良好の兆しを感じれるのは、大手企業の冬のボーナスが上がるなどの嬉しい話も


耳に入ってきていますが、自分の幸せと社会経済は切っても切れない関係にあります。


その経済力が国同士も、個人同士も二極化してきています。


その背景にあるが、経済力のある側が経済力の無い側をコントロールしようとしていることだと


思います。


そもそも「経済とは」というところから考えていくと、最も古い例は東晋の葛洪によって記された


『抱朴子』(ほうぼくし)に遡るとされます。


経済とは経世済民(経国済民とも)「世を経(おさ)め、民を済(すく)う」の意味であり、


世の中を上手におさめ、人々を苦しみから救うものであり、昔から経済だけでなく、政治的・


社会的にも広い意味で使われていました。
 

「世のため人のため」ということが、もともとの意味だった経済が、江戸後期に入って次第に


貨幣経済が浸透すると「經濟」のなかでも「社会生活を営むのに必要な生産・消費・売買などの


活動」という側面が強調されるようになり、幕末期になり、新たに交流が始まったイギリスなどから


古典派経済学の文献が輸入されるようになると、「経済」の語は新たに"economy"の訳語として


用いられるようになりました。


国民の生活を助け、安定させる為の経済が、今では為替や先物取引など、誰もコントロールする


ことができないモノになってしまっています。


今一度、通貨や経済との関わり方を考える時期にあるのだと思います。


2013年11月18日月曜日

生きている間にすること

自分は何のために生まれていきたのかと悩まれる時期は誰にでもあることでしょう。


そんな時は決まって、人生がうまくいかず、自分を見失っている時だと思います。


原因は人によって異なりますが、自信を無くしたり、自分では頑張ったつもりなのに、


周囲の人が評価してくれなったりなどなど。


そんな時は「自分は頑張っているのに」や、「何で自分ばっかり不幸になるのか」など、


思考の主語が常に「自分」になり、周囲の人たちの思いが感じ取れなくなっている状態に


なってりまいます。


調子が良い時も同様で、「自分がやったんだ」、「自分はこんなにできるんだ」と、自分の力に過信


してしまい、周囲の人たちの協力を感じれなくなってしまいます。


自分の思考の主語は「みんな」であるときは周囲の人たちのことが見えているのだと思います。


だからこそ、頼まれた仕事を受けるということは、自分自身の周囲の人たちの評価や存在意義を


理解する大切なことです。


どんな仕事をどこまでの成果で頼まれるのかを明確に認知し、期待以上の成果で答えていくことが


自分が生かされる理由でもあるのだと思います。


最後に森信三先生の言葉を借りると、


「思い上がらず、下座に徹して生きる時、天が君を助けてくれる」ということでしょうか。

2013年11月16日土曜日

子どもの七五三

七五三は古くからの風習である三才の「髪置」、五才の「袴着」、7才の「帯解」に由来する


と言われています。


11月15日に盛大にお祝いするようになったのは、江戸時代からのことで、五代将軍、徳川綱吉の


息子の徳松の健康を盛大に祈願いたことから、それが庶民に広がったとも言われています。


現代とは違い、当時は医療も進んでいなかったために乳幼児の死亡率も高く、子どもを七五三の


年齢まで育てることは大変なことでした。


「七つまでは神の内」と言われ、七つまでの成長は神様にお任せするしかないというのが当時の


親の心境で、無事に七五三の年齢まで見守って下さった氏神様やご先祖様へ感謝の心を


伝える意味で参拝することを七五三という行事に込められています。


以前、東京国立博物館で古代エジプト文明展を見た際、数多くのミイラが展示してありました。


権威ある者が死ぬと、その者の生き返りを信じて焼いたり、土に埋めることなく、体の全ての水分を


抜き取り、ミイラとして安置されます。


しかし、大部分を占めるのが子どものミイラでした。


当時のエジプトでも、子どもは弱さの象徴であり、早くに子どもに先立たれた親の思いがミイラに


込められていたのだと思います。


先進国に生まれると、死が遠く感じてしまいますが、七五三という行事を通じて改めて、


生きやすい環境が素晴らしいことなのだと実感していきたいものです。

2013年11月15日金曜日

沈黙の時間

フランスの思想家であり、科学者でもあるパスカルが「人間は考える葦であり、人間は孤独


弱いが,考えることができることにその偉大尊厳がある」という有名な言葉を残しています。


人はこの世に生まれた時から死ぬまで、脳を使って考えることを止めません。


毎日を生きるということは毎日、何かを考えているということとイコールになっています。


昔から、よりよく生きるための工夫として、一日の中で沈黙の時間をとっています。


禅宗では座禅を組むlことで、頭で何かを考えたりするのは雑念であって、断ち切るべきものと


されますし、自分はこういうふうにやってやろう」とか、「こういうものを手に入れよう」というのは、


「自分が、自分が」という狭い「分別(ふんべつ)」に過ぎないことに気づいていく機会としています。


またヨガなどでは、「瞑想」と言われる目を閉じて肉体が眠ったまま、意識が覚醒した状態を


作ります。


これを「変性意識」状態と言い、気づいていない心の声に気づき、本当の自分を知り得る機会とし、


自分の理想の姿のイメージを強めることで自分自身の思考と行動をコントロールしていきます。


生きているからこそ、無意識の中でも考えてしまいますので、沈黙の時間を作る習慣が重要なので


しょう。





2013年11月14日木曜日

給料の意味とは

ここ最近、「ブラック企業」というキーワードをよく耳にします。


今年で2回目となるブラック企業大賞の発表も話題になっています。


ブラック企業には若い人を使い捨てにする一面もありますが、私の過去の職歴で何社か


ご縁を頂き勤めた企業は今振り返ると、ほとんどブラック企業でした。


切り捨てられるダメ社員の反対に、結果や能力を認められて、高年俸をもらう社員もいます。


個人の結果や能力を企業が適切に評価し、給料へ反映させることは企業や一社員が成長する


上で理に叶っていることであり、重要なことですが、はき違えてはいけないのが、


毎月の給料とは日々の実生活を保障、安定そのものであり、決して労働の切り売りではないと


いうこと。


バリバリの営業会社と豪語する企業もよくありますが、ノルマ目標が厳しく、ノルマを達成しなけれ


ば会社には居れなくなる。


しかし、ノルマを達成すればどんどん給料やポジションが高くなり、若い社員に夢を見せます。


毎月の仕事の結果如何で、簡単に給料を上下させることに何の意味もなく、人生の基礎である


家族の生活そのものを軽視した、企業側の雇用に対する無責任な姿勢そのものです。


日々の家族の生活が営みであり、家族の幸せであり、国そのものであり、その生活を築く


毎月の給料とはとても神聖なものだと思います。







2013年11月13日水曜日

どこにでもありそうで、どこにもない

以前、香川県に仕事で訪れた際に、宿泊ホテルの近くにあったせとうち美術館で初めて、


日本画家の巨匠、東山魁夷氏の絵を拝見しました。


「白馬の森」や「夕星」、今頃の時期では「秋翳」の紅葉の鮮やかな表現力には圧倒されます。


東山氏の作品はどれも美しさや洗練さ、緻密さなど多くの魅力がありますが、その奥深い


魅力を氏は生前、「どこにでもありそうで、どこにもない」のが私の絵だと言い残しています。


最近の近代芸術は奇抜さや意外性など、何か奇を衒うかような作品が多いように感じて


いましたが、東山氏の作品と向き合うと、勝手に心が反応してしまっているような気持ちがします。


それは何か懐かしく、引き込まれる世界感があります。


「どこにでもありそう」という意味は、いつまでも皆の心に存在する思いや感性であり、


「どこにもない」という意味は、現実社会を生きる上で無くなってしまった風景や忘れさられようと


しているような思いだと思います。


そのような普遍的で人が人としてあるべく価値観を具体的に表現できることはモノつくりを


手掛ける者として最高の仕事だと思いますし、いつかはそのようなデザインを手掛けることが


できればと願います。

2013年11月12日火曜日

物々交換の価値

人類の商いの原点は物々交換の時代ではないでしょうか。


物々交換とは、読んで字のごとくですが、自給自足が生活の基本にある中で、自分で作った


農作物や猟(漁)で得た獲物などを互いの対価に見合う物を交換し合うものでした。


現代は通貨の安定した流通、安定した価値が保たれているおかげで、物々交換の時代のような、


気候に影響されるような不確実で不安定さがなく、価値の変動が少ない通貨を中心とした社会構


築ができ、貯蓄や投資が容易で、実生活にも計画性が見いだせるうようになりました。


この通貨が物を提供した際の対価として支払われることで、起きているのも事実です。


それは最近、また表沙汰になっている虚偽、偽装という行為で、食品産地を偽装しそもそも


掛かるコストを低コストの食材に変えて儲け幅を増やす。


わかりずらところで言うと、お米を作る農家では自分の家族が食べる田んぼは無農薬で


作り、出荷し売る為のお米はなるべく手間をかけず大量に作るため、農薬を沢山使って作ります。


支払う側が気づかなければ少しぐらい、質を下げても構わないということでしょうか。


物々交換の時には現代のような嘘は少なかったのではと思います。


それは自給自足が基本であり、自分で作り、自分で食べる物をほかの人に分け売るという


ことに偽りはないのでしょう。


2013年11月11日月曜日

多様な成果

ひと昔前の皆と同じであることで安心し、皆と同じことが良かったとさた時代が過ぎ、


個々を際立たせることでステイタスを明確にし、人との違いから優越感を持つ時代になって


きました。


個々にあったライフスタイルで、個々にあった付加価値で、個々にあった満足感が求められう


中、仕事への考え方も同じことが言えます。


だからこそ、最近のビジネス書にはダイバーシティというキーワードがよく目に付くようになりました


が、実際に企業現場でダイバーシティが構築されているケースはまだまだ少ないようです。


企業として、言葉では「個々人の個性や能力を認め合う」と言っても、個人個人がやりたいこと、


気の向くことだけやれば良いという訳でもありません。


個人の個性や能力が事業の成果、結果に結びついていなければ、ただの放任された現場が


あるだけで、好き勝手なことを個々が勝手な判断でやっているだけの状態に陥ってしまい


成りかねません。


ダイバーシティの本質は個々の個性や能力、いわゆる多様性を認めると共に、事業に対する


多様な成果、結果を認めながら、事業の新たな可能性や広がりをマネージメントしていくことだと


思います。


これまでの企業や事業部では、サラリーを貰う上で皆、平等でなくてはならないという支払う側の


平等が定義の上で根本にあり、ノルマも一緒であれば、マニュアルも一緒でそのやり方が合う


人が成果を出しやすい環境がありました。。


しかし、多様性を受け入れることを考えれば、やり方や何を持って成果とするのかまで、個々に


応じた設定が必要となります。


多様性を認めるということが個人の存在を認めるということに留まらないのです。






2013年11月10日日曜日

個を自覚する時代

時代の転換期で、ここ数年の間に国や組織、団体という大きな枠組み作りはこれまでの

ような統率力や抑制力、牽引力を発揮しずらくなってきました。


その要因の一つにITインフラが急速に構築されたことによる情報化社会が確立されたことに


あります。


これまでの情報は社会的な権力者が保持し、コントロールして一般人へと都合よく発信され、


情報を受け取る一般人はあたかもその情報が正しく、現実に起きていることだという認識してきま


した。


しかし近年では、政治家や官僚、先生と呼ばれるような立場の方しか知らないようなことが


関係者からの内部告発され始め、もはや情報をコントロールすることが難しくなってきています。


特にこれまでの日本人は、「長いものに気持ちよく巻かれたい」という気質があったように


思います。


「国のことは御かみ(政治家達)がちゃんとやってくれてるだろう」と思っていたのか、思いたかった


のかはわかりませんが、ある意味で人任せのうまい国のようです。


しかし、最近の年金問題や原発事故、なし崩し的に聖域が無くなるTPP問題など、耳を疑う


ような事実を知らされ、不安というよりこれまで知らされていたことが間違っていたことに


ただただ驚くばかりで、この先どれぐらい驚かなくてはいけないのか、不安になってしまいます。


もう国や組織、団体などで物事の価値を図れる時代は終わり、個人として、感じ、考え、答えを


出し、責任の取れる行動へと自らを導いていくことが必要になるのだと思います。





2013年11月9日土曜日

お任せの人生

私がよく利用する日本料理のお店は、料理に対して大将が深いこだわりを持っているので、


いつも旬のモノを仕入れ、毎回少し変わった調理、味付けで美味しく飽きの来ない料理を


提供してくれます。


だから、いつも席に通されると、「今日もお任せで」と言うことになります。


仕事でも同じことが言えるのが、庭を提案し施工する際、お客様との信頼関係が構築できると、


お客様から細かな注文されることなく、「もうお任せしていますので好きにやって下さい」という


言葉を頂きます。


素人がちょっとひらめいたぐらいのアイデアを押しつけ、プロの仕事を遣りずらくさせてしまうことを


考慮すれば、その分野の専門知識、経験を尊重し、任せておくのが得策なのでしょう。


人生においても「お任せ」が一番の得策だと言えます。


生命について一番とも言える存在は「神」です。


日本人であれば、天照大御神であったり、またはキリストやお釈迦様であったりと、


様々な神様がおられます。


自分自身、目の前のことに対して精一杯、取り組むことに専念すれば、その後のことは


自分の信じる神様へ「お任せ」しておけば、自然と良い方へと自分を活かしてくれるのだと


思います。


後は日々、神様への感謝を忘れずに。





2013年11月8日金曜日

成功を引き寄せる

身体への栄養は日々の食事から摂ることができます。


脳への栄養は酸素だそうです。


脳の細胞は体全体の僅か2%ほどしかないにも関わらず、体が必要する酸素の約80%は


脳で消費されます。


ですので、呼吸を整えること、深い呼吸を意識するヨガや座禅、安定した睡眠は脳にとって、


とても良いこととされています。


では、心への栄養は何から摂るのか。


個人個人違うのでしょうが、私は困難を乗り越えた方の実体験を本で知ることです。


うまくいかないことが多い毎日で、心が弱っているときなど、何度となく励まされ、今一度


頑張ってみようと気持ちを改めるきっかけを頂きます。


何かを成し遂げるには先が見えず、不安になり、どうにも前に足が出ないときがあります。


しかし、そんな時こそ心に思い起こす言葉は「成功への可能性はいつも、五分五分である」と


いうこと。


どっち付かずの成功を自分の手元に引き寄せるやり方、方法は人それぞれ違うのでしょう。


だからこそ、自分自身の強みや個性を知り、日々長所を磨いていくことが重要であり、


決して成功へのマニュアルがどこかにあるのではなく、勝てる方法を開発していく過程に


価値があるのだと感じます。

2013年11月7日木曜日

神の宿る場所

人類は今日まで多くの偉業を達成してきました。


宇宙へも行けるようになったり、音速で空を移動したり、深海へと潜ったり、巨大な建築物を


立てたりと、人類の可能性は膨らむ一方です。


人類の文明がここまで飛躍してきたと肌身で実感させられるには、先ほどの一つひとつの偉業の


積み重ねがあってのことだと実感させられます。


しかし、人類の文明がこれほどまで飛躍しても、今なお、実現できないことがあります。


それは生命をゼロから生みだけないことです。


それは小さな昆虫一つ、微生物一つ、生み出すことができません。


ただ一つだけ、生命を生み出すことに近いのはお母さんの子宮の中だけです。


「老子」に説かれている「人の心に存在する良心」の正体は「内在する神」であるとされています。


この内在する神とは正に母であり、その先に存在する親であるとされています。


親への感謝の念は、そのまま神への畏敬への念に通じていきます。


核家庭は増える現在で、中々親の存在を深めることが難しい状況だと思いますが、


生命の源の尊さを再認識できるのが家の価値だと感じます。

2013年11月6日水曜日

保持、比較に意味がないこと

中国古典の代表作であり、無為自然を尊ぶ『老子』の第二章に共感する方は多く、

老子の中でも有名な章でもあります。

【第二章:原文】
天下皆知美之爲美。斯惡已。皆知善之爲善。斯不善已。故有無相生、難易相成、長短相形、

高下相傾、音聲相和、前後相隨。是以聖人、處無爲之事、行不言之教。萬物作焉而不辭、

生而不有、爲而不恃、功成而弗居。夫唯弗居、是以不去。


【書き下し文】
天下みな美の美たるを知るも、これ悪のみ。みな善の善たるを知るも、これ不善(ふぜん)のみ。

故(まこと)に有と無相(あい)生じ、難と易相成り、長と短相形(あらわ)れ、高と下相傾き、音と声相

和し、前と後相随(したが)う。ここを以(も)って聖人は、無為の事に処(お)り、不言(ふげん)の教えを

行なう。万物ここに作(おこ)るも而(しか)も辞(ことば)せず、生じるも而も有とせず、為すも而も

恃(たの)まず、功成るも而も居(お)らず。夫(そ)れ唯(た)だ居らず、ここを以って去らず。



【現代語訳】
 世の人々は皆美しいものを美しいと感じるが、これは醜い事なのだ。同様に善い事を善いと

思うが、これは善くない事なのだ。何故ならば有と無、難しいと易しい、長いと短い、高いと低い、

これらは全て相対的な概念で、音と声も互いに調和し、前と後もお互いがあってはじめて存在

できるからだ。

だから「道」を知った聖人は人為的にこれらを区別せず、言葉にできない教えを実行する。

この世の出来事をいちいち説明せず、何かを生み出しても自分の物とせず、何かを成しても

それに頼らず、成功してもそこに留まらない。そうやってこだわりを捨てるからこそ、それらが

離れる事は無いのだ。



19世紀〜20世紀の世界は互いを主張し合い、奪い合い、独占し合い、消費を拡大してきました。

その過程から国境が引かれ、産まれた植民地や支配下国など支配する側、される側をはっきり

してきましたが、支配することに限界を感じる事象が世界各地で起きている状態です。

21世紀には個々のあるがままを存在させながら、互いが心地良く活かされる関係性を見出して

いく調和の時代だと言われています。

老子のタオイズムには調和に必要な要素が数多く、説かれているよに思います。


2013年11月5日火曜日

育てられない時代

都市部で働くと、一日がとても早く感じます。


都会の人は歩くのが早いとよく言われますが、歩くことだけではなく、食べることも、


寝ることもゆっくりできない状況で、正に「生き急ぐ」という言葉が頭に浮かんできます。


これは会社組織も同じことで、同業者との企業競争に曝されながら、毎日、毎月、毎年の


売り上げに終始し、腰を据えてじっくり仕事に関わることができなかったり、仕事の奥深さを


楽しむという心持ちが持てない環境です。


そんな状況では、人を育てること、商品やサービスを育てることは難しい状況でしょう。


だからこそ、モノを売るための努力を省き、コストダウンすることを選ぶ企業が増えています。


コストダウンは更なるコストダウンを生んでいきます。


人件費を削る為に正社員をから契約社員へシフトし、モノ造りでも上質な材料から質を下げること


で仕入れ価格を下げ、最悪の場合、質を下げたモノを上質なモノのようにお客様へ伝え、


正規料金を得ようとする企業もでてきます。


育つこと、育てることができなければ、自ら力を付けることもできず、企業組織も個人も安易な選択


しか望まなくなり、技術的にも精神的にも弱っていくのは当然のことです。

2013年11月4日月曜日

今だから学び直すこと

日本は江戸時代以降、西洋文明に憧れを抱き、追いつけ追い越せと和魂洋才の


精神で切磋琢磨してきました。


戦後の日本の復興から先進国へと目覚ましい成長を遂げるわけですが、現在では文明の利器へ


の欲求が優先される機会は多く、自然への配慮や文化の継承などがおざなりになるケースが


後を絶ちません。


そんな中、日本人としての品格を取り上げる著書も多く目にするようになり、ここ最近の傾向とし


て、論語などの四書五経や福沢諭吉の学問のすすめ、新渡戸稲造の武士道など、倫理感に


特化した古典から、根本的に生活や心の在り方を見つめ直すアプローチも増えてきている

ようです。


現代人にとって生きる上で重要なことで、わかっているようで、わかっていないまま、日々が


進んでしまっているように感じます。


最近の社会で起きる問題から改めて必要性を実感するのが、人間がどう生きるのかをといた


人間学、自然についての興味関心を深めること、日本郷土が培ってきた文化.


自分がどれほどの自然や先人達の恩恵を受けて、日々の生活が成り立っているのかを知ること


で、自分自身の存在を超えた恵みや価値に出会えることで、素直な気持ちで感謝する


心が養われてくるのだと思います。

2013年11月3日日曜日

文化の日


国民の祝日である「文化の日」は太平洋戦争終戦から1年後の1946年に、平和主義・国民

主権・基本的人権を宣言した新憲法に基づき、この日を記念日にしました。

現在でも文化の日には文化を称える行事として、皇居で文化勲章の授与式が行われます。

文化庁文化審議会に置かれる文化功労者選考分科会の意見を聞いて文部科学大臣が推薦

し、内閣府賞勲局で審査したうえ、閣議で決定されています。

また文化の日を中心に、文化庁主催による芸術祭が各地で開催されています。



文化の日の恒例行事として11月3日、皇居では文化勲章の授与式が行われます。

授与式では「国家又は公共に対し功労のある方、社会の各分野における優れた行いのある

方などを表彰するもの」として、勲章及び褒章があります。

文化は永遠であるべきとの意向で作られた常緑樹の橘を模した勲章と、褒章として終身年

金(350万円)が贈られます。

文化勲章の受賞を目指して頑張る事も、美術館・劇場に足を運んだり、実際に何か創作し

てみたりする事も、人生を豊かに過ごすための手段の一つかもしれませんね。

自由と平和を愛し、よりよい日本文化を形成していきたいものです。

因みに文化の日は「明治節」とも呼ばれ、年配の方々に親しまれてきました。

この「明治節」とは明治天皇の誕生日に当たり、明治天皇を懐かしむ日とされ、

天皇の誕生日に因んだ祝日としては初めて制定されました。


10月10日の体育の日や11月の文化の日を今年も変わりなく迎えられるというこは、

平和であることの明かしではないでしょうか。

2013年11月2日土曜日

朽ちる価値

先日、材木会社の代表の方とのやり取りの中で、気付かさせて頂きたことがありました。


よく庭などの屋外で使用する木材で、特に庭に設置するデッキを作る際、長く使う上で腐らない


木材を使用して欲しいと御客様からご要望を伺うことがあります。


そのようなときにご提案させて頂くが、水や土に直接触れていても腐ることのない、


アセチル化木材のアコヤ素材です。


食酢の成分でもある酢酸の一種「無水酢酸」を高温で木材と反応させ、木材組織の細胞壁内の


“水酸基”を“アセチル基”に置き換えるという化学修飾法によって、木材細胞壁の疎水性を飛躍的


に高め、腐朽菌の酵素分解能力が抑制され木材の耐腐朽性能が非常に高くなりまた、木材の


含水率の変動が減少し寸法安定性能が飛躍的に向上された木材です。


御客様と同じような質問を木材会社の代表へ伺った所、その方はこう言われました。


「自然界に存在する全てのモノは最後はちゃんと土に帰ってその役目を終える。


木も当然、同じことで、人間の都合で腐らないモノを作ること自体、自然界の摂理、循環から


逸脱している。」とのことでした。


その方の言われることにアコヤ素材とは木そのものの細胞を潰すことで、生きている木を


プラスチックのように変えてしまうのだそうです。


お話をお聞きして考えるのが、人も老いること、最後は土に帰ることを日々の生活の中で


忘れがちになってしまうこと。


無意識の内に、自分の生きている時間のモノサシだけでは大事なことをおざなりにしてしまう


のだということを実感させて頂きました。










2013年11月1日金曜日

コンセプチャル社会の本質

なぜ、コンセプチャル社会に移行していくのか?


特に日本は文化の根源において、海に囲まれた閉ざされた国であることもあり、

また農耕社会から来る「村社会」の思想が強く、常に集団という概念が根強くあるようです。

20世紀後半から村社会を基盤とした思想から権利や義務など「個」を主張する流れができ、

集団から個への意識的な移行が進むと、そこから多様性が生まれ、ライフスタイルや幸福論、

雇用形態に至る様々なことが堰を切ったように叫ばれ始めました。

核家族化や様々な格差を生み初めているのも象徴的な出来事だと思います。


これまでできなかった個を主張することができるようになったことで、得れることも多いのですが、


一度個になった価値観や思想をまとめることが容易ではなく、地域や組織、家族に至るまで、


個になったことで起きる弊害も多々起きています。


だからこそ、情報化の次の社会として個をまとめるのではなく、個そのものを活かしながら、

個々を調和させる「コンセプチャル社会」が必要とされるのだと感じます。

「コンセプトの時代」には、左脳主導の考え方を、6つの不可欠な「右脳主導の資質」を身につける

ことで補っていく必要がある。これから6つのハイ・コンセプトでハイ・タッチな感性を合わせれば、

新しい時代に求められる新しい全体思考をに培うのに役立つだろう。


『議論』より『物語』
誰でもすぐにタダで検索できる時代の「情報の価値」

「語りによるイメージつくり、すなわち物語は、思考の根本的な道具である」


『個別』よりも『全体の調和』
 「コンセプトの時代』に成功したいのなら、一見バラバラで多様な秩序の間にある関連性を理解し

なければならない。明らかに無関係な要素を結びつけて、新しいものを作り出す方法を知っている

必要があるのだ。それは『境界を越られる人』『発明できる人』『比喩を作れる人」である。


『論理』ではなく『共感』
共感とは、相手の状況に自分を置き換えて考えられる能力であり、その人の気持ちを直感的に

感じ取れる能力である。


『まじめ』だけでなく『遊び心』
私たちはめったに1人で笑ったりはしない。それでも、他人がくすくすし始めると、こちらも思わず

笑ってしまうことがよくある。笑いは共感を伝えるための言葉によらないコミュニケーションの形であ

る。


『モノ』よりも『生きがい』
仕事においても、人生においても、『生きがい』が最も中心的な側面となったのである。確かに、

生きがいの追求は決して容易な仕事ではない。そのためのレシピが載った料理本はないし、袋の

中の粉と水を混ぜ合わせれば出来上がる、というものでもない。だが、個人、家族、あるいは企業

が意義を追求を始めるための、実用的かつ全体思考的な方法が2つある。それは、精神性をまじ

めに考えること、そして、幸福について真剣に考えることである。