中国古典の代表作であり、無為自然を尊ぶ『老子』の第二章に共感する方は多く、
老子の中でも有名な章でもあります。
【第二章:原文】
天下皆知美之爲美。斯惡已。皆知善之爲善。斯不善已。故有無相生、難易相成、長短相形、
高下相傾、音聲相和、前後相隨。是以聖人、處無爲之事、行不言之教。萬物作焉而不辭、
生而不有、爲而不恃、功成而弗居。夫唯弗居、是以不去。
【書き下し文】
天下みな美の美たるを知るも、これ悪のみ。みな善の善たるを知るも、これ不善(ふぜん)のみ。
故(まこと)に有と無相(あい)生じ、難と易相成り、長と短相形(あらわ)れ、高と下相傾き、音と声相
和し、前と後相随(したが)う。ここを以(も)って聖人は、無為の事に処(お)り、不言(ふげん)の教えを
行なう。万物ここに作(おこ)るも而(しか)も辞(ことば)せず、生じるも而も有とせず、為すも而も
恃(たの)まず、功成るも而も居(お)らず。夫(そ)れ唯(た)だ居らず、ここを以って去らず。
【現代語訳】
世の人々は皆美しいものを美しいと感じるが、これは醜い事なのだ。同様に善い事を善いと
思うが、これは善くない事なのだ。何故ならば有と無、難しいと易しい、長いと短い、高いと低い、
これらは全て相対的な概念で、音と声も互いに調和し、前と後もお互いがあってはじめて存在
できるからだ。
だから「道」を知った聖人は人為的にこれらを区別せず、言葉にできない教えを実行する。
この世の出来事をいちいち説明せず、何かを生み出しても自分の物とせず、何かを成しても
それに頼らず、成功してもそこに留まらない。そうやってこだわりを捨てるからこそ、それらが
離れる事は無いのだ。
19世紀〜20世紀の世界は互いを主張し合い、奪い合い、独占し合い、消費を拡大してきました。
その過程から国境が引かれ、産まれた植民地や支配下国など支配する側、される側をはっきり
してきましたが、支配することに限界を感じる事象が世界各地で起きている状態です。
21世紀には個々のあるがままを存在させながら、互いが心地良く活かされる関係性を見出して
いく調和の時代だと言われています。
老子のタオイズムには調和に必要な要素が数多く、説かれているよに思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿