もう6年も経つでしょうか。
銀座4丁目にそびえ立つ王子製紙本社ビルへ商談に行った帰りに、ビルを下から眺めながら、
僕と同じ一度切りの人生で、どうすればこんな立派なビルを銀座4丁目に建てることができる
のかと、一時間ぐらい途方に暮れたことがあります。
何もお金持ちになりたいとか、有名になりたいということではありませんが、ひ弱な自分の存在と
対象的な世界感の違いを立派なビルから威圧されるように感じていました。
その後の仕事の関係で色々な企業の経営者や社員の方と意見交換する機会があり、
企業名や役職(肩書き)などで臆することがなくなりました。
というより、臆していては仕事にならないので、いつの間にか慣れてしまったのでしょう。
企業名や役職(肩書き)に慣れてくると、その人の人格や本質が見え易くなります。
人は実績や能力は違っても、基本的な資質事態はそんなに変わらないことがよくわかるように
なります。
1万円の利益でも100万円でも1億円でも、やることはそんなに変わらないことも多くの人から
教わりました。
そういう思考を持ち始めると、仕事に大小がなくなり、自分の仕事は全てが大になります。
なぜなら限りある自分の人生の貴重な時間を費やしているからです。
どんな小さな契約でも契約書を交わした日の夜は生きているという心地を実感できます。
その生きている心地とはこんな自分でもお客様の役に立ったのだ、会社の役に立てたのだと
思えるたった一日しかない大事な日になります。
明日になれば契約したことも忘れ、日また新たに気持ちを切り替えて、仕事に臨まなければ
なりません。
先日、日米通算4000本安打を記録したヤンキースのイチローはヒットを打った際、
ヘルメットの耳の穴に指を入れるしぐさを1塁キャンバスの上でみせます。
これはヒットを打ったことを忘れ、気持ちをリセットする意味で毎回、行っている行為です。
積み上げるという途方もないことも、一つひとつしか積み上げることができないからこそ、
常に粛々と淡々と日々の仕事に心を入れるのでしょう。
それは日々の一つひとつの仕事がどれぐらい大きなことなのかを知っている人にしか
わからない領域なのでしょう。
仕事にオンもオフも大も小もないからこそ、このブログも書き続けることができるのでしょう。