今の日本の社会では、個性を発揮することが「出る杭は打たれる」という
仕打ちにあってしまうよく言われる村社会的な思想が強くあります。
そういった社会の背景をよく理解している人は、自分の本心をひた隠しにして、
着々と水面下で仕組み造りや根回しをして、皆が気付いたときいには
大成しているといった、「出過ぎた杭は打たれない」を実践しているのでしょう。
なぜ、そんな閉鎖的な思想が深く根付いているのでしょうか?
日本は島国だからということだけでは説明が付かないのではないでしょうか?
昔の話では、日本は「大和の国」として和を尊しとして、その思いを脈々と受け継い
できました。
しかし、今の日本ではその和が皆一緒のことをすること、個人としての差を出さない
ことになってしまっています。
更に民主主義の間違った平等意識が「皆同じでなくてはいけない」という差を作らない
仕組み、思想へと意識が向いているのでしょう。
最近の保育園、幼稚園の運動会でも徒競争に順位を付けない園が増えてきたのは、
徒競争が苦手な子が可哀そうという理由だそうです。
本来の「和」とはお互いの違いを認め合い、受け入れ合い、お互いを活かし合うこと
ではないのでしょうか。
村社会的な思想が根付いたのも、個々の人間力が落ちた結果だとしか思えません。
何かに依存せず、執着しない為にも心を鍛え、実践力を身につけていきたいものです。
0 件のコメント:
コメントを投稿