18年ぶりに故郷に戻り故郷の夏を過ごしていますが、これまで18年間の東京の
夏と言えば、浅草に流れる隅田川の上流と下流の2か所から合計2万発以上が打ち
上げられ、あの狭いエリアに一晩で10万人近くも見物客が集まるのですから、
もう大変な行事です。
会場に来れない方はTV東京が関東ローカルではありますが、2時間の生放送もお茶の間
の風物詩でもあります。
が、実は楽しいものではありませんでした。
この大会は、大飢饉とコレラの流行によって、江戸で多くの死者が出た享保17年
(1732)、8代将軍・徳川吉宗が大川端(現在の隅田川河畔)で催した、「川施餓鬼」
(死者の霊を弔う法会)に遡ります。
慰霊と悪病退散を祈願する目的で、両国の川開きの日に水神祭を実施されました。
その際に花火を打ち上げたのが、現在の花火大会のルーツとされ、この当時は20発前後
の花火で、かなりのんびりとしたものだったようです。
発生で特に稲作に多大な被害を受けました。
徳川実記によれば、死者は全国で97万人にもおよび、隅田川にも連日、餓死した遺体が
流され、河川を埋めたと書かれています。
我々の先祖は飢餓やコレラなどの伝染病と戦っていたのでしょう。
起源を知ることで行事の楽しみ方も変わってきそうです。
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